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日記
『人生にはやらなくていいいことがある』の著者、柳美里氏はそのなかでレヴィナスの『全体性と無限』を愛読していると書いている。
この本は一万円選書の発起人、岩田徹氏による本『一万円選書: 北国の小さな本屋が起こした奇跡の物語』(ポプラ新書)のなかでおすすめ本としてリストアップされていた。
レヴィナスを愛読する作家は他にも内田樹氏などがいる。
しかし、自分は今まで数々のレヴィナスの著者や解説書を読んでみたが、顔が倫理と結びついた、くらいの認識しかなく、さっぱり分からないままでいる。なので『レヴィナス 顔の向こうに』を読んでも納得いなかったらもうレヴィナス関係の本は読むのを止めようと思っている。
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『レヴィナス 顔の向こうに』
メモ
レヴィナスとユダヤ性・ギリシア性について
“(・・・)「暴力と形而上学」の末尾で印象的なかたちで「われわれはユダヤ人か、ギリシア人か」という問いを発したデリダの慧眼には驚くべきものがある。デリダは、レヴィナスに対し、哲学テキストにおいてギリシア性とユダヤ性を分けることははたして可能かという問いを突きつけ、レヴィナスに「偽装」を見出すことも辞さない。” P51
⇒レヴィナスはユダヤ的なものと哲学的なものとを区別し始める。(レヴィナスの企て)
(レヴィナスの言葉)
“神に対してなされた罪は神の赦しに属する。人間を襲う罪は神には属さない。(・・・)誰も、神でさえ、犠牲者の身代わりになることはできない。赦しが全能である世界は非人間的である。” P65
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『正義のフロンティア』
メモ
“道徳には、人間のニーズに供する職務がたしかにある。けれども、人格が、人間の理性的/道徳的側面として見なされる人格が、そのような奉仕の目標である。動物性そのものが目的なのではない。カントはこの見解に合わせるかたちで、人間には動物に対する何かしらの道徳的義務があることを、否定するーーー動物にある独立の価値が存在せず、人間の諸目的に関連した「相対的価値」だけがある、という理由で。” P151
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『ファンタジーと言葉』
メモ
マーク・トウェイン『アダムとイブの日記』を50年ぶりに読んだルヴィン
“アダムとイブの物語をエホバ抜きで書くなどという芸当が、マーク・トウェイン以外のだれにできたでしょう。(・・・)キリスト教と無縁なまま老人になって思うことは、やはりこれがまともな話だということです。そして今のわたしは、この話の独創性と勇気をもっとよく評価することができます。” P86
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慈善と正義は分離して考える。
慈善は正義の原理にはなれない。だとすれば障害年金と正義はどのような位置づけにあるのだろうか。
そのあたりがまったく分からない。分からないことが分かったのでそこは収穫かもしれない。
マーサ・ヌスバウムがどんな問題意識を持っているのかいまいち分からない。そこは読解力不足だ。