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新・読書日記284(読書日記1624)

   

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日記

東海道線、横須賀線が大幅にダイヤが乱れた。

駅で待っている時間が長くなったので桃山商事の本を読んでやりすごした。

カフェでは『新・動物の解放』を読んだ。

今日は平日にしてはわりと読めたほうだったように思う。

  

・・・

『新・動物の解放』

メモ

リチャード・M・ヘアの言葉

「誠実な倫理的判断を下したければ、自身の決定に影響される全当事者の立場に身を置き、なおその判断を実行に移したいと思えることが条件だ」

   

種差別について

“種差別とは、その原初的で最も重要な形態としては、みずからが属する種の成員に利益となり、他種の成員に不利益となる、生物種だけにもとづく偏見ないし偏向をいう。” P29

  

・・・

立岩さんも書いていたが、仮に「魚に痛みを与えてはいけない」が正だったとしても、人間がそれを実行に移すことはまあ可能だとしても、人間以外のその他全ての生物がそのように動くように操作することは不可能である。

そう考えると、人間だけが仮に本当に実行したとしても、地球全体で俯瞰的にみると魚をいたわるのは人間だけであり、相対的に人間が反自然的な行為をしているようにも思えてくる。

そんなことをするのは人間だけであり、他の生物は自然的に生きる限り他の生物を食物連鎖のなかで食べる、食われるを延々と繰り返す。

  

ここで「いや、だから人間には理性があるのだから・・・」といった反論がくる。

しかし立岩さんも書いていたように、この発言は人間だけが理性をもつと認めること、つまり人間を他の生物と分け、境界線を作ってしまう行為に自動的につながる。結局脱人間中心を訴えながらも脱人間主義的人間中心主義に陥ってしまう。

  

今日もそこまで読めていないが、ピーター・シンガーはこのジレンマをどう乗り越えるかみてみたい。

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