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新・読書日記286(読書日記1626)

   

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日記

今日もそこまで読めなかったので簡単な感想を書くにとどまる。

明日以降は9連休なので気の済むまで読書に打ちこむ。

立岩さんもピーター・シンガーも自分より遥かに優れた学者なのだというのは重々承知なのではあるが、どこかしら納得できないというか、まあ読解力不足は目に見えているが、ポイントは本当にそこなのだろうか、と思うときもある。

立岩さんは、障がい者の自己決定について、選択肢が著しく狭められた、妥協点としてのものにとどまらず(例えば、精神になんらかの障害があることによって、その障害のせいでその当事者がやりたい仕事に就けない等。外部が環境を整備することによってその障害の壁が完全に取り除かれることも珍しくないのが現代である)、外部が条件を変更することで、その選択肢を健常者になるべく近づけるようにするべきだ、という主張をしているようにみえる。

  

それは分かる。痛いほど分かる。ただ現場はそう甘くない。就労継続支援の現場は想像以上にシビアなのである。

自分は哲学によって自分自身を支えてきた。

哲学によって世の中の矛盾点に気が付き、重要な局面で正しい判断をできたと今では考えている。

外部に条件を整えることを要求することは自由であり権利であるからそれはそれでこれからも主張していくべきなのかもしれない。

それと同時に内部に条件を整える努力も同等に課されるべきであるというのが私の考えである。

勿論限界もある。誰もが内省、反省、見たくもない現実を見つめるということを厭わないくらいなら障がい者への支援など必要ない。

ピーター・シンガーの本一冊最後まで読むだけでも十分に世の中への見方が変わる。

今は失明してもオーディオブックで本が読める。

耳が聞こえなくても本が簡単に読める。

素晴らしい時代でもある。

身体的なハンディを自分は抱えていないのでまだまだ視野が狭いのは重々承知している。

障害には3つの種類があると言われている。

身体的なもの。精神的なもの。知的なもの。

知的な障害に対して哲学はどこまでその効果を発揮するか。

哲学は正常な、マジョリティのための営みなのか。

書いていてなにか胸にしこりが残る。

あれができない。これができない。あれが足りない。これが足りない。

障がい者福祉は甘くない。

甘くないからこそやりがいもある。

時間がほしい。

もっといろいろなことを考えたい。

もっといろいろな本を読みたい。

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