■株式会社晶文社
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■株式会社青土社
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■有限会社月曜社
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■株式会社水声社
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■一般財団法人九州大学出版会
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日記
400ページ弱あった『新・動物の解放』を、半ば義務感から一気に読み倒した。一週間もかからなかったかもしれない。この一週間の読書日記を振り返るとだいたいピーター・シンガーが並んでいる。ようやく離れられる。立岩さんの書いていることはヘルガ・クーゼの本を読むためにやむを得ず読まざるを得なかった。どうしても反対側の意見も聞かなければならないので。
多分感情が邪魔をしているのかもしれないが、やはり最後まで読んでもピーター・シンガーに同意することはできなかった。
最後までピーター・シンガーは、脳に重い障害を背負った人間(言うまでもなく意識は無い状態)であれば、十分に正当化される根拠があれば(この人間を何らかの実験に使用することによって多くの生命が良い状態へ向かう状況の場合に限るとさすがにシンガーも書いていた)人体実験を認めるという姿勢であった。
若干の吐き気を覚える。
なぜそうなるのか。それは功利主義の弱点なのだと自分は昔でも今でも考えていて、結局1より多を取るのが功利主義なのである。
功利主義は少数を、多数が圧倒する原理を含んでいる。そして全体の幸福の最大化が望めるのであれば少数の犠牲をいとわない。
極論すれば、1億頭の動物のためなら一人の脳機能に重い障害を背負った人間を犠牲にしてもよいという思想になる。自分の読解力不足なのかもしれないが、最後までそうだとしか読み取れなかった。
植物には中枢神経系が無いから野菜を食べてよいと書いていた。そしてピーター・シンガーは、仮に植物に意識があるとするならば餓死まではいかないにせよ、より小さな悪を選択しなければならないとハッキリ書いていた。
確かに論理の筋道は最後まで一貫し、かつ読み易く、文章力や論理の整合性など、人を説得する技術には長けていることは間違いない。影響力のある哲学者だというのも真実だと思われる。
しかし、何度も書いているが最後までピーター・シンガーの思想に賛同することは難しい自分が最後まで残った。ひとまずこれでようやく立岩さんの書いていることが少し分かる段階にまで来たのでもう一度『人命の特別を言わず/言う』を読んでみようと思う。
いや、批判ばかり書いていてもこの本を読んだ意味がなくなってしまう。
確かに良いことも沢山書かれていた。
温暖化問題とピーター・シンガーは相性がとても良いことは認める。
畜産業が縮小すればこれからの温室効果ガスを大幅に削減できることは明白である。
近年では昆虫食などという変わった思想が流行ったが、野菜や穀物を食べる人が増えればそんなことにはならないように思われる。なぜならば、肉を100g生産するために無駄と思えるほどの穀物などが餌として消費されているからである。
儲かるからそうしているだけであって、人類への食物の分配を考えた場合、畜産は甚だしく生産性の欠ける産業なのである。それは認めるし、大いに参考になる話であった。
“別の研究が示唆するところでは、畜産学を速やかになくしていけば向後三〇年にわたり温室効果ガスを安定させ、今世紀に排出された二酸化炭素の三分の二以上を相殺できる。” P253
・・・
メモ
“ある存在が境界線内にいれば、闘技会でみられたような行ないは許しがたい蛮行となっただろう。しかしある存在が道徳的配慮の圏外に位置すれば、苦しみを与えることもただの娯楽となった。奴隷、罪人、戦争捕虜を筆頭とする一部の人間と、全ての動物は、この圏外の外に置かれた。キリスト教の影響はこうした背景に照らして評価しなければならない。キリスト教は創造における人類の特別な地位という教えをローマ世界に持ち込んだ。” P273
⇒人間の生命神聖説はキリスト教が土台
イマヌエル・カントの動物観
“「動物に関していえば、私たちに直接義務はありません。動物は自己意識を持たず、目的に資する手段としてのみ存在します。その目的とは人です」。” P291
⇒冷静になって考えれば、人間の赤ん坊にさえ意識が宿っているか定かではないにもかかわらず、動物にも意識が宿っていると認めるにはまだ科学がそこまで発展していないように思われる。ピーター・シンガーの推論はやや飛躍しているように感じる。
(イギリス教育者、トマス・アーノルド)
“「単なる被造物の主題は、全体、私にとってあまりに手の余る謎ゆえ、あえて近づこうとは思わない」。” P297
ここで思い出した。ひとつの思考実験をしてみる。
1京個の生命がいたとして、9割は幾分苦しんでいる。1割はそこそこ満足している惑星があるとする。
別の惑星があって、そこでは1億の生命がいたとして、9割はそこそこ満足していて、1割はそこそこ苦しんでいる。
どちらの惑星が望ましいか。総量としては1000兆個の生命も満足している前者なのか。
絶対数をとるか。相対をとるか。
ピーター・シンガーは、3億個の卵を産むがそのうちの100万しかふ化しないマンボウについて語る。
“一部の哲学者は、このような早期の死を鑑みるに、野生動物は全体としてみると幸せよりも苦しみを多く経験していると確信する。この悲劇的な見方が当たっているかは確かめがたい。おたまじゃくしが水たまりで孵り、好きに泳いで数日を過ごしたのち、水たまりが干上がって死んだとしたら、かれらの生涯は喜びよりも痛みが多かったことになるのだろうか。” P325
・・・
今日は時間の大半をピーター・シンガーの本に注ぎながらも、次の本がひかえているので他にもいろいろと手をだした。
ジャン・パウルの本をそろそろ読みたいと思っていたので、ジュンク堂にあった『生意気盛り』を読むことにした。
トーマス・ベルンハルトは『消去』のなかで弟子に『ジーベンケース』を持ってくるように指示していたが、ジーベンケースは売っていなく、仕方がなく生意気盛りを読んでみることにした。これも重厚で長いので、ちまちまと読んでいきたい。そこまで読みにくいとは思えない文体で、夜はしっくりきた。
小林康夫は正直読みづらい。読みづらい作家は嫌いではないが、正直ちょっと読んでいてイライラしないでもない。
昔誰かに小林康夫の本を勧められた記憶があった。
ベンヤミンの言葉を引用してくれるのはありがたいが、ほぼほぼ何を言っているのか分からない。
『教育思想の50人』はブックオフで見つけた。
ハーバーマスなど知っている人物のことも書いてあったのでわりと楽しくよめた。
つづく
『君自身のアートへ』↓↓ 水声社 HP
http://www.suiseisha.net/blog/?p=20379