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日記
ある程度考えがまとまったので忘れないうちに書き残しておこうと思う。
やはり今日も『新・動物の解放』に気持ちが向かった。250項まで読み進んだので、今日か明日には読み終わると思われる。ピーター・シンガーに憑りつかれている感じがするのでさっさとこの呪縛から解き放たれて立岩さんの本を読みたいと思う。
今日は乳液などのくだりを通過し、最終章の手前、第五章に進んだ。五章ではアグリビジネスがこれ以上発展しなようピーター・シンガーは不買運動を勧めていたりしていた。論理は言うまでもなくしっかりとしていて、筋が通っている。その筋道を逆行し、遡及することで何が前提として隠れているのか自分は問うてみた。
すると見えてくるものがあった。まずはメモを書き残して、最後にそれについて書きたいと思う。
・・・
『新・動物の解放』
“豚は知性と感覚に秀でた動物で、イルカや猿のように多段階推論ができ、象のような社会構造を持つ。鏡の自分を認識し、ある者を別の者と識別し、いやな経験を記憶することができる。そして清潔を好む。養豚農場での暮らしは、数千年にわたる豚たちの飼われ方とは似ても似つかない。” P196-197
“乳用牛が草原で子牛と戯れるような牧歌的風景は、商業的牛乳生産には一切みられない。今日、一般的な乳用牛はもはや野原で平和に草を食んでいるなどということはない。” P203
・・・
『投壜通信』
(ジャン=ジャック・ルソーの言葉)
“「わたしがひとり徒歩で旅したときほど、わたしがゆたかに考え、ゆたかに存在し、ゆたかに生き、あえていうならば、ゆたかにわたし自身であったことはない。歩くことはわたしの思想を活気づけ、生き生きさせる何ものかをもっている。じっとひとところに止まっていると、ほとんどものが考えられない。” P16-17
伝記作家泣かせのフロイト
“「伝記作家たちはさんざん苦労すればいいのです。そんなに簡単に書いてもらうわけにはいきません」” P27
・・・
『新・動物の解放』
多分立岩さんは書いていないかもしれないことをここに書いてみたいと思う。
ピーター・シンガーの公理(絶対的に信頼する思想)は植物を除いた意識を持つ生命の幸福(快楽の総量)を最大化するというものだと自分は認識している。
だから功利主義が幅を利かせて人間社会のみならず動物にまで幸福を最大化しようとなっている。
その筋道は一貫しているので論理はしっかりとしている。しかし、前にも書いたように、脳機能が完全に失われたと考えられる場合、かつその人を対象とした実験(人体実験)を行えば生命全体の幸福(快楽の総量)が以前よりも格段に上昇すると明確な場合、人体実験が許容されるリスクが存在する。これがピーター・シンガーの怪しい点なのであった。
このことは立岩さんが指摘していたので自分は別の点からこの考えの盲点を突いてみたい。
結論から書く。幸福度が最大化されるならば人間性を失ってもいい、という発想にたどり着くのではないかと自分は見ている。
「人間性」は抽象的な言葉なので、人間らしさとでも表現するべきうだろうか。
要するに、快楽の追求がこの思想には前提となっていて、麻薬のような快楽を大きく享受できるものは許容される。麻薬は副作用が大きすぎるので忌避されているが、副作用がほとんどないような麻薬が生まれたらピーター・シンガーはその使用を否定しない。
ピーター・シンガーの本に芸術の話が一切出てこないことに自分は気が付いた。
ピーター。シンガーはゴリゴリの物質主義者であると自分はだんだんと思うようになってきた。彼はあくまで幸福(快楽の総量)だけを話題にしているというか、それが全てだと思ってるので(そもそも功利主義の考えがそういうものなので)苦悩の価値を認めない。だから彼は芸術の価値についても言及しない。
それでいいのだろうか。
なぜカントの義務論と功利主義が対立するのか考えた時に、この盲点に気が付いた。
こういう観点からの批判は立岩さんはしていないように思っている。
(立岩さんもあまり芸術の話をしていない印象を抱いている)
つづく