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神谷美恵子『人間をみつめて』読了+新・読書日記296(読書日記1636)

   

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日記

『野生人の図書室』で『打ちのめされるようなすごい本』の米原万里について書かれていた。

米原万里の優れている点は、嫌いな人物の本でも人格と本の内容は分離して批評を行っているということであった。そこが日本人にはなかなかできないのだという。

ということで、自分もそのあたりを気をつけてみようと思う。

  

・・・

『人間をみつめて』

トーマス・マン『魔の山』を読んでいるときと似たような気分になった。

書かれていることは常に死と隣り合わせの毎日、生きがいが喪失して苦しむ患者、どうしても自殺を防げない日々。

淡々と日記に日々の記録を残している様子が伝わったが、苦悩、もどかしさを感じる神谷美恵子も見受けられた。

この本は内容的に重い。しかし何かとても大切なことが或るような気がして最後まで読まずにはいられなかった。

     

・・・

メモ

(サン=テグジュペリの言葉)

”「自由とは統計に反して行動しうる力である」” P35

  

アランについて語る神谷美恵子

“アランは「判断力」について次のような烈しいことばを記しているが、これは「考える力」についてそのままあてはまりそうだ。「判断力を養うには、まず出来あいの観念やおきまりの文句を殺りくすることから始めなくてはならない」

この「殺りく」につとめないと、「考えること」もきまり文句の堂々めぐりとなり、たのしみやおどろきも少なくなる。” P37 

  

セント=ジェルジについて語る神谷美恵子

“「大いなるよろこびは研究そのものにあるのです。結果にではありません。希望にみちて旅していること、そのことのほうが目的地に到達することよりもいいのです。・・・・・・人間は闘うべく生れついているのですから、闘いに挑まなくては、崩壊するだけです」

このことばは、人間にとって必要なのは安楽ではないことを示している。どのような方面のことやものについても、簡単に手にはいってしまうような所有物は、永続的なよろこびを人間に与えることはないであろう。たえず新しい発見や成長を約束するもの、たえずこちらの生活をしぼり出さなければならないようなものこそ、人生目標とすべきなのだろう。” P60

  

前国連事務総長ハマーショルド

“「使命のほうがわれわれを探しているのであって、われわれのほうが使命を探しているのではない。」(『道しるべ』みすず書房、一九六七年)” P74

  

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“もし銀河系の中に、天体のあいだに、自由に飛翔しうる存在となれるならば、それはすばらしく雄大なことではなかろうか。こうした大きな視野に立ち、大いなるものを信頼して、卑小な自分をまもることや、自分が所有するつもりになっているもろもろの物や力をまもることに、それほど熱中しなくなれば、どんなに多くのエネルギーが解き放たれることであろう。” P124

  

(自殺を防ぐことができなかったあとの記録)

“ひとりひとりの患者のことを考えると、ほんとうにたまらなくなる。人力以上のしごとなのだろう。私にはできないことなのだ。ただその方向にむくだけしかできない。ある先生の話をききながら今晩思ったことーーー。どうして人は自分のあたまで考えることができないのか。何かの権威に支えてもらわないとこわいのか。人を支えるものは自信でも権威でもない。思想とは自分が生きていることから必然的に流れ出る血液のようなものではないか。生きていることと同じような切実な必然性で、考えざるを得ないように考えるだけのことではないか。他人が言ったことで自分の考えをうらづけることの無意味さ。” P226-227

  

病は気からだということを改めて考えさせられる、コクトーン博士の言葉

“「・・・・・・現在われわれはかなりの威力を持つ治癒薬を有し、らい患者の終局的治癒に対して今までより楽観的な態度をもつことができるが、しかし次のことを決して忘れてはならない。それは治療における成功は患者の心理的態度に依存することが多いということである。らいは慢性疾患であり、すべての疾患において、とくに慢性的なものほど、精神の身体に対する影響は最も大きな重要性を持つということをくりかえす必要はあるまい。」” P286

  

・・・

『ソクラテスからSNS』

“最先端の文明を誇っていたイスラム世界だが、その地位を失った原因が印刷術の導入の遅れにあるのかは、歴史家の間でもいまだに意見が分かれている。” P81

  

“印刷術の普及によって、モラルに反する情報が容易に広まりやすくなった。” P81

  

“ルターは、自分とは意見の異なるプロテスタントを黙らせるために検閲という手段まで使った。” P89

  

“スペインと同じくローマでも、言論弾圧においては異端審問が大きな役割を果たした。” P101

  

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『ソクラテスからSNS』を宗教社会学で学んだことと照らし合わせると、いろいろと学びがあるように感じた。

『デカルトからベイトソンへ』も少しだけ重なるところがあるかもしれない。

いろいろな本と繋げて視野を広げていきたい。

例えば、言論弾圧が信仰心を維持するための重要な条件なのかもしれないという気づきがあった。

今は科学の力によって信仰心が世界中で消えかかっているというのが常識であるが、科学の力のみではそうはいかなかったのかもしれない。

言論の自由があり、常に新しい情報にアクセス可能である環境が信仰心に影響を与えたのかもしれない。

  

『人間をみつめて』の感想を書くには力余りある。

しかし言えることは、神谷美恵子のこの本に書かれていることは部分的に池田晶子や執行草舟氏、小室直樹、岡本太郎の言葉と似ているということである。

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