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日記
『「憧れ」の思想』がもう少しで終わりそうなところまで来たので最後までいっきに読んだ。
メモ
“人生の過去のある時点を、自ら美しいなどと思うことは、精神が停滞していることを表している。” P208
“人間の本音だけが、自己の生命に共振する。それを活かすのか殺すのかは、本人自身の責任なのだ。「きれい事」の書かれた本は、何冊読んでも何もならない。” P223
”私は、本音が書かれた政治家の書物をあまり知らない。そのような意味において、『我が闘争』は二十世紀有数の本物の書物であると考えている。” P224
“私の食糧は書物の魂であり、私の人生は書物の中に埋もれることだと思っている。身体を永らえることに集中する者は、パンのみに生きることになるのだ。” P246-247
“自己の中で、思想として確立していないものは人生では役に立たない。その思想の確立に、読書を通した先人との魂の触れ合いが必要となるのだ。その過程を通らずして、思想が確立することは絶対にない。” P248
古典の価値は本音にあるということでもある、ということをこの本から吸収。
昨日、米原万里の優れた点をメモに書き残した。米原万里はスターリンを毛嫌いしたと書かれていた。しかし、それでもスターリンの本を読み、スターリンの人格と本に書かれていることを切り離して批評を行っていたと書かれていた。
言うまでもないが、なぜヒトラーの本が平然と棚に並んでいるのかというと、やはり本音が書かれているというところにある。対照的に今の政治家の本はどうだろうか。
世の中、報道しない自由というのもある。書かない自由というのもある。また、このような監視社会の現代ではおそらく「書かない」のではなく「書けない」ことも多数ある。
文学の価値はそういった書かれないことを、人間の深い洞察力から演繹して真実を浮き上がらせる力にある。そういうことがこの本からよく伝わったように思う。
ジャーナリズムに限らず、あらゆる分野で文学はその力を発揮すると自分はこの本を読んで吸収した。
最近は言論の自由について興味がわいたので『ソクラテスからSNS』を引き続き読んだ。
・・・
『ソクラテスからSNS』
メモ
17世紀と出版について:出版物の点数は増えた。しかし、、
“ただ、この記録は一八世紀になるまで破られない。翌一六四三年に議会が許認制度を復活させたからだ。(・・・)詩人ジョン・ミルトンはこのような動きを受けて『言論・出版の自由ーーーアレオパジティカ』を書いた。出版の自由を求めるこの論文は翌一六四三年にーーー許認可を待たずにーーー出版された。ミルトンが最も訴えたかったのは、検閲は「あらゆる学問の停滞につながり、真実の拡散を止める。すでにわかっていることに関しては、我々の能力の発揮を妨げ、能力を鈍らせる上、宗教に関しても、世俗の知に関しても、未知のことがらの発見を妨げ、減らすことになる」ということだ。” P127
“まず一八世紀には、作られ、読まれる書物の数が急激に増えた。それが政府批判の大きな手段となり、革命を促すことになった。” P142-143
書物と思想について、興味本位からトロツキーの自伝も読んでみることにした。
『スターリンの図書室』を去年から一昨年に読んだので、トロツキーの境遇については若干の知識がある。そのうえで読んでみるとまた面白い。
書物が革命を起こすための必要な条件なのかは定かではないが、書物が人間の行動に何らかの影響を与えることは間違いない。書物がただの文字の羅列ならば、どうして数千年以上、破壊され、焼却されつづけてきたのだろう。
『書物の破壊の歴史』も多少読みたくなってきた。
本と本との連鎖は永久に止まらない。