閉じる

新・読書日記313(読書日記1653)

    

■株式会社岩波書店

公式HP:https://www.iwanami.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/Iwanamishoten?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eautho

■株式会社光文社

公式HP:https://www.kobunsha.com/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/kobunsha_cs?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■株式会社講談社

公式HP:https://www.kodansha.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/KODANSHA_JP?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■名古屋大学出版会(国立大学法人名古屋大学)

公式HP:https://www.unp.or.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/UN_Press?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日記

残業が続いたのでさすがに朝の7時台から読書は無理だった。

とはいえ9時台には家を出ることが出来た。

しかし、結局ナボコフ『偉業』を読んでいる途中に何度も意識を飛ばしてしまった。それでもいつものように、意識は飛ばしながらもページは飛ばさず、ちまちまとそれぞれの本を読み進めた。

  

今日は『脱人間論』でヒルティの話になった。ヒルティといえば、神谷美恵子の『本、そして人』のなかにも登場する。アメリカに留学中だった神谷美恵子は、ヒルティを知っているということを話すとそこにいた亡命中のドイツ人が、ヒルティは人生の指導者です、ということで仲良くなったくだりについて書かれていた。

当時のアメリカでは既に慈善的な活動が行われていた。しかし、理想を掲げるだけの人が少なくないんですドイツ人は言っていた。ヒルティは厳しい現実を痛いほどわかっていて、経験に裏付けられた言葉だから説得力があると語っていたと記憶している。

“先述したヒルティも、キリスト教の信仰の中だけを生きてきて良かったと思うから、あの有名な『幸福論』を書いたのだ。そのヒルティが言っていることは、愛のために死ぬということに尽きる。だから、幸福というと少し言葉が変なのだが、いまの人が言っている幸福ではない。現代の幸福は、自己中心のエゴイズムだ。” P118(『脱人間論』)

   

『幸福論』の序盤にはまさにそのことについて書かれていた。ヒルティは直接幸福を定義していなかったが、ひとまずその定義は文脈からして「内側から湧き上がる持続的な充実感」としておく。幸福の条件としてヒルティは「自分の仕事をすること」を挙げた。そのためには怠惰を克服しなければならない。怠惰によって人は「自分の仕事をすること」から遠ざかっていく。

金銭的な目的、何らかの欲求、名誉欲、そういった動機で成り立つ原動力では持続性が足りないとヒルティは書いていた。例外はあるかもしれないが、自分は読んでいてツイッターなどではsそれに当てはまる人は多そうだと感じた。

何かを装って自分をウリに出しているアカウントが、利益が見込まれないと悟るとひっそりと消えてしまう、という現象を何度も目にしてきた。

ヒルティは愛や責任といったものが原動力にならなければ持続性は見込まれないということを書いていた。

  

ただ、愛や責任といった抽象語には注意が必要だと思った。

執行草舟氏は愛の定義を「自己犠牲」としていたと記憶している。この時代においては自己犠牲は美徳とされないことがある。特攻隊が良い例かもしれない。特攻隊にような「悲劇」は二度と繰り返してはならないと人は言うが、それは自己犠牲は悪であるということの裏返しのように思われる。

  

“また今日の社会の状態を見ると、ふたたびある社会改革が起こって、現在働いている人々が支配階級になるであろう、と期待して誤りないように思われる。これは丁度、かつて十九世紀の初めの社会改革で、勤勉な市民がなまけ者の貴族や僧侶をしのいで上に立ったのと同じである。しかしこの市民たちも、彼等の先行者と同じように、ただ利札を切って、つまり他人の労働で暮らそうとするなまけ者になってしまえば、結局滅びるよりほかないであろう。未来は働く人のものであり、社会の主人はいかなる時代にも常に勤労である。” P30 (ヒルティ『幸福論 第一部』)

  

・・・

メモ

『脱人間論』

“(・・・)保障・安定・安楽・幸福というのは、これら自体が一つの魂を攻撃するファシズムだということに気づく。『聖書』を読んでも『ファウスト』を読んでも「悪魔のささやき」とは、これらのことに尽きるのだ。” P114

  

『真理・政治・道徳』

“(・・・)真理という概念が主張という概念と結びついていることについては、かなりの合意が得られている。その理由の一つに、「Pは真である」を理解するには、それがPという主張であることを理解していなければならないということがある。” P122

  

“(・・・)本当の信念とはそれを支持したりそれに反対したりする証拠に呼応するものだ、と考えることを支持する議論をいくつか見てきた。自らのことを都合よく捉えて、自らに反するような経験や推理からの影響は受けないと主張する「信念」など、まやかしのものである。それに反するかもしれないものが何も出てこない信念は、空虚なのだ。” P123

   

『偉業』

“(・・・)マルティンが文学に求めていたのは一般化された意味なんかではなくて、森のなかに思いがけなくぱっと開けた陽のあたる草地なのであり、そこでは関節がぱきぱき鳴るまで身体を伸ばし、うっとりと我を忘れることだってできるのだ。” P127

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

© 2025 ラボ読書梟 | WordPress テーマ: CrestaProject の Annina Free