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新・読書日記319(読書日記1659)

    

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日記

『幸福論』73ページになかなか良いことが書かれていた。一日頭から離れない。

“ひとが、きみの肉体を自由にする力を勝手にだれでも与えたならば、きみは憤慨するだろう。ところが、きみがだれかとでたらめに喧嘩を始めて、そのために心をかき乱され、不安に陥り。そのようにしてその者にきみの心を自由にする力を与えることを、君は厭わないのか。” P73

  

その他にもなかなか示唆的なことが書かれていた。

人間は最終的にはキリスト、厭世主義、虚無主義のあいだのどこかにおさまると書かれていた。

虚無主義というのは、広い意味で解釈すると「人生楽しんだ勝ち」などの価値観も含まれる。

西部邁『虚無の構造』を読むと、現代人は小室直樹でいう「アノミー」に陥っているのでその行動原理は肉体重視の、功利主義的でただただ快楽を求めるものになる。宮台真司のいう「法の奴隷」「言葉の自動機械」「損得マシーン」も広義の意味では虚無主義と言える。なのでヒルティの言わんとすることはよくわかる。

厭世主義者も現代人ではかなり多いと思われる。

池田晶子は厭世主義に近いだろう。ただ、三つはやや足りないような気もしなくもない。

   

宗教というと日本人は胡散臭いものだと考えがちであるが、なにかひとつのものを人生の最期まで信じ切る人間がどれだけいるのだろうか。そしてその力、それが与える充実感、内発的な力、そういうものを理解している現代人はどれほどいるだろうか。

ヒルティの本を読むとそういったことに考えが及んでいく。

その延長線上では、キルケゴールの思想もつながっていくように思う。

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