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新・読書日記322(読書日記1662)

   

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日記

午前中はヒルティ『幸福論』をひたすら読んでいたと記憶している。

メモがほとんどヒルティになっている。

“われわれとしては、理想主義なるものは、ひとつの信仰、ひとつの内的確信にほかならぬと考える。すなわち、この信仰、この確信は、この世界が成立するためには絶対に必要であるにもかかわらず、証明されえないものであり、また実際、この確信をいだく人にとっては、もとよりなんらの証明をも必要としないものである。(・・・)このことは、もともと少しも不思議なことではない。だいいち人間理性の合理性にしてからが、経験をまって初めて証明されうるのである。” P117-118

(このことについて言及するヒルティ)「このことを認めない人は一度カントの『純粋理性批判』を読んでみるがよい。この本は唯一の真に基礎的な哲学書である」

  

“人生は、安楽に暮らすためにあると考えるのと、正しい行ないをするためにあると考えるのと、この違いがまず第一に、人々の間にある大きな相違である。この考え方の違いは、人人の全精神を左右するものだ。正しい行ないをしようと決心する人は、次ぎに、正しい行ないをすることのできる道を見出て、最後に、正しい行ないの習慣に到達しなければならない。この良い習慣こそはもっとも大切である。人生を安楽に暮らそうとする者にとっては、哲学も宗教も道徳も、どんなものも彼の本当の生活に導き入れることはできない。それらのものはみな彼等にとって、なんの感銘も与えない。” P125

ここがヒルティとストア派のような禁欲主義と袂を分かつ点であることは本書の冒頭から明らかであったが、ここで再びこのことについてかかれていた。単なる禁欲主義、節制はなんら創造力の源泉とはならない。このことは短いながらも、自分の全人生における経験が裏付けているように感じた。

  

正しいことは常に相対的であるという決まり文句についてここで思考をめぐらせたのか、覚書のようなものがあったのでここにメモをのこしておく。

「この世に絶対は無い」と述べるときの「絶対」とは、根拠の、基盤の弱さや避けられえない相対性の呪縛、というよりもむしろ「未完」「不完全」という意味での「無い」ではないだろうか

  

・・・

覚書その2

執拗に「なんで?」と問われたらHOWで答えるがよい

WHYに対してREASONで答えたら堂々巡りは免れえない

WHYに対してHOWで返せば数回で止まる可能性が高い

  

・・・

『プラトンに関する十一の章』

メモ

アラン・・・エミール=オーギュスト・シャルティエ

  

・・・

『埴谷雄高文学論集』

メモ

“私は『大審問官』の作者から、文学が一つの形而上学たり得ることを学んだ。” P14

  

・・・

『てってい的にキルケゴール』

今日はひたすらキルケゴールのこと書こうと思ったが、キルケゴールの文章があまりにも悪文で失笑しつつも、解説を読むことで少しばかりはその輪郭は掴めたものの(『死にいたる病』の全体的なテーマが絶望がの考察だということ)、何に対する絶望なのかというのがいまいちつかめない。

肉体の死と精神の死に分けて、前者の死は死ですらない、ということがわずかに理解しかけたところで、あまりにも悪文で満ち溢れた死にいたる病をくそまじめに読んでいる自分を俯瞰した瞬間に若干興ざめした感じがあったので本を閉じた。

  

・・・

『天涯図書館』

メモ

ネガティブ・ケイパビリティ・・・・・・分からないことをいったんそのままにする「能力」。すぐわかろうとしない能力。

単なる分かった(浅い理解)は無知の温床

「分からない」は問いのドミノ

最後まで疑い得ないものをみつけること。すなわち哲学

池田晶子『考える人』を読んで自分なりにネガティブ・ケイパビリティを落とし込む

  

・・・

『てってい的にキルケゴール』

メモ

“(・・・)絶望こそが真摯な生き方の象徴であり、われわれは絶望するからこそ、人間としての崇高さを保っていられるのだ、という上から目線の、悟りきった、かつ気楽な思想ではないのです。” P82

  

“すなわち、われわれ人間はこのように絶望を直視せず、自他を欺くことに努力を傾けるのです。絶望が神との関係(不均衡)にまでいたる壮大な病(まさに死にいたる病)であることを認めたがらず、単なる心の病だと思い込みたがる。ここには、サルトルの自己欺瞞論のモデルとでも言うべき自己欺瞞の原型が描かれていると言うこともできましょう。”P93

  

・・・

『ヨーロッパの日記』『差異と平等』

ボードレールについて語るホッケ

”『火箭』には聖書風に、かつ聖書の論証法をサタン風にひっくり返して、次のように書かれる。「だがわたしはいう、恋愛の唯一至高の悦楽は悪をなすという確信にある、と。男も女も悪のなかに悦楽のすべてがあることを生まれながらに知っているのだ。」「我が怒り(悲しみ)の証言」、ボードレールはその『内面の日記』のより深い意味をみずからこう説明する。”P120

  

(ボードレール)

“「ダンディーはたえず崇高たらんと欲して、それにおのれのすべてを傾けなければならぬ。鏡を前にして生きかつ眠らねばならぬ。」” P120

  

『差異と平等』を読んだ後に、このボードレールの文章に出会ったとき自分は大学の講義でposessionについて受けた講義を思い出した。

愛という言葉はたびたび偽善性を帯びる。誰でも感じたことはある。なぜか。

そこに所有欲、独占欲が隠されているからではないのか。

そこを背理法で検証してみればいいではないか。つまり、所有欲(独占欲)なしで成立する恋愛は存在し得るかを問えばよい。

・・・論理的に不可能ではないだろうか。浮気を考えてみればよい。浮気を許さないのはなぜか。

浮気と所有欲はどう関係しているかを問えばよい。

所有欲と浮気の関係が曖昧であれば、貨幣制度と所有の権利の関係を問えばよい。

人はなぜ物を所有するか。なぜ所有には貨幣が介在するか。

ここを詰めれば「契約」の本質が見えてきやしないか。

付き合うという、ある種の暗黙の「契約」を「破棄」することが浮気の正体ではないのか。

   

契約についていまいちパッとしないのであれば、契約社会について考えればよい。

契約とは神との契約であることを思い出せばよい。

ここまで考えてみると、なぜボードレールが「だがわたしはいう、恋愛の唯一至高の悦楽は悪をなすという確信にある、と。」が少し見えてくる。

この世界の諸所の矛盾は恋愛という系のなかにおいても発露していることを自分は確信する。

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