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新・読書日記342(読書日記1682)

    

■株式会社 知泉書館

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■株式会社光文社

公式HP:https://www.kobunsha.com/

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■株式会社岩波書店

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■株式会社新曜社

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■株式会社生活書院

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■株式会社 未來社

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日記

たっぷり寝たので今日は重めの本も読んでみたいと思った。

自分のまわりでうつ病がやや流行している。由々しき事態である。

うつ病についてはかなり考察したほうであるが、やはりよく分からないのが実態ではないだろうか。

繰り返しの日々がうつ病の原因であるならば、なぜ子供は学校と家の往復でも十分に生を謳歌できるのだろうか。

仕事が端的にしんどいからか。しんどいからといってうつ病を誘発するとは思えない。アフリカ大陸は日本よりもはるかに過酷な環境であるが、日本よりうつ病が多いとは聞かない。

感情を日々抑圧しているからか。自分はこれが大きいのではないかと思っている。

日本人は欧米人よりも感情表現が鈍いと一般的には言われている。カナダ人と学生時代に話したとき、欧米人は「so emotional」だと言っていたのは今でも忘れられない。

この点は考察するに値するように思える。

  

・・・

   

美的なもの、創造的なものに惹かれる。

今日は読書以外に何か創造的で面白い活動は他にないか模索した。

マインクラフトに多少興味を持っているが、今はYoutubeでマイクラやっている人の動画を観るだけで満足してしまう。

電卓をマイクラの世界で作ってしまう人がいて、可視化されたプログラムはある意味芸術的であったが、幾分か崇高さも備えていて、なにか得体のしれないものを観た不気味さを感じる。

ルービックキューブが関連動画として流れて来た。マニアックすぎたが、人間の知力はここまで到達したのかという思いにかられた。

次にレジの声真似の動画が流れて来た。録音したものをただ流しているかと思いきや、本当に真似をしている人の声であった。

人間の多彩な一面を見せつけられた。日々を面白くしてくれる何かに魅了される。

   

・・・

『幸福論 第三部』

メモ

・自然界は事実だけが存在し、価値については何も教えてくれない

“正義や忍耐や憐れみや愛は、一体そのような自然のどこに宿るであろうか。自然は憐れみを知らない。自然は強者を保護し、弱者を滅ぼし、弱者には死後の生命存続の希望すら許さない。(・・・)どのような形のものにせよ汎神論は、その必然的な帰結として、力の礼讃、すなわち、強者をばその道徳性にかかわりなく、無条件に崇拝する考え方の源泉である。そうした考え方は、個人生活では利己主義を、国家においては独裁政治を、国際法の世界では好機あるごくに理不尽な戦争を、学問においては経済的弱者を搾取する学説を、法律では冷酷無情な利己主義を、芸術においては官能の無制限な支配を導き出す。” P19

  

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『本を生み出す力』

・ツイギング(twigging)とブランチング(branching)について

“(・・・)学問分野の極端な細分化に伴う学術書一点あたりの読者数(購買者数)の減少、知識情報の陳腐化速度の上昇に伴う情報媒体としての書籍の重要性の低下、教養主義の衰退を背景とする読者の大衆化、違法な文献複写の横行。” P10

  

どこかの本に書いてあったのは、発行される新刊の数は昔よりも増えているが一冊あたりの売上は減少しているということであった。この本にもそのことについて書かれていた。

本は必要から生まれるものであって、供給があとについてくるが、現代は倒錯していて、需要があとで供給が先という悪循環の構造になっている。結果的に本の質は全体として下がり、すぐにメルカリやブックオフで500円くらいに値崩れする本が大量に生まれているという状況になっている。

そのなかで自分ができることは、結局のところこのブログ等で質の高い(と自分が思っている)本をこうして紹介することくらいしかできない。

それを端的に示している名言が書いてあった。

(中陣隆夫)”「学術出版社は、教科書で飯を食い、売れない専門書で名誉を堅持している」” P31

  

しかしながら、専門分野が細分化していることは事実であって、宇宙の膨張とともに距離が離れていっている星同士のように、本と本との繋がりが弱まっている(まさに引力のように)のは間違いない。ジレンマだ。

ちなみに、岩波文庫に書かれている「読書子に寄す」は哲学者・三木清が文章を考え、岩波茂雄が多少手を加えたというマニアックな知識が得られた。

  

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『シモーヌ・ヴェイユアンソロジー』

   

■株式会社河出書房新社

公式HP:https://www.kawade.co.jp/np/index.html

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/Kawade_shobo?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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画像を貼り忘れた。

ブックオフで何か良い本がないか探していたら目に入った。この本は手放してしまったが何故か気になったのでまた読むことにした。

メモ

“「ヨブ記」は最初から最後まで、真理と真性があらわされている。純然たる驚嘆すべきものである。不幸を主題にしていながらヨブのモデルからかけ離れているものはすべて、多かれ少なかれ虚偽で穢れている。” P238

  

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『判断と崇高』

メモ

“(・・・)「判断とは何か」と問うことは「S is P」式の答えを期待しているかぎりで、問いの形式そのもののうちで「判断とは何か」という答え(の一部)をあらかじめ了解していることになるのであり、一種の論点先取(petitio prinsipii)を犯すことになるのである。(・・・)「存在(ある) [l’etre]を定義しようと企てれば、次の背理に陥らざるをえない。すなわち、ある言葉を定着するには「これは……である」 [C’est]という言葉からーーーこれを明言するにせよ暗黙のうちに理解するにせよーーー始めなくてはならない。それゆえ、存在(ある)を定義するには、「これは……である」と述べ、かくして、定着されるべき言葉をその定義のなかで用いなくてはならなくなるのである」(『幾何学的精神について』)。” P5

  

「SはPである」・・・・・・記述主義的誤謬(オースティン)

  

“(・・・)「反省」とは、いま引いた定義にしたがえば、自身の判断の法としての「主観的条件を発見するために」備えている意識の働きを指し示すことになるだろう。” P32

  

“批判は、理説とは異なり、なにがしかの客観に即してなんらかの理論をそれ自体として積極的に構築するわけではない。それは、諸能力にとって理説が可能になるための条件、すなわち、その権利が正当であるかぎりでの限界を画定することを目的とするのである。” P37

  

“判断力の批判は、判断力をみずからの批判対象としてそのつど自己立法的に措定することでみずから批判に付す、という反省的な構造のうちに実行されるのである。” P38

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