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日記
通勤中にリラダンを読み、帰宅後は小林秀雄を読んでみようと思った。
今日の朝、中原中也と小林秀雄に関するドラマ(映画?)の紹介をやっていた。
中原中也は知名度が高いが、小林秀雄は致命的に低い。(ちゃっかり韻を踏んでる)
なぜなのか。それは、小林秀雄が難しいことを書いているからなのか。でも自分は中原中也の詩のほうがよほど難しいように思える。
小林秀雄がアモール・ファーティ(運命への愛)について触れていた。
これもまたひとつの究極のパラドックスのように思える。
“不平家は、折合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが。環境と戦い環境に打勝つという言葉も殆ど理解されてはいない。ベエトオヴェンは己れと戦い己れに打勝ったのである。言葉を代えて言えば、強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るが儘の環境であって、そこに何一つ欠けている処も、不足しているものもありはしない。不足な相手と戦えるわけがない。好もしい敵と戦って勝たぬ理由はない。命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているのだ。(・・・)Amor fatiーーーこれが、自分の奥底の天性である。” P65
職業柄、精神医学と社会福祉の相関性について日々思いをめぐらせる。
無職であることをネタにしてYoutubeで配信をしている人たちが最近若干目立つ。
往々にして、彼らは人づきあいが苦手という共通点がある。
しかし本当に苦手なのは人ではない。自分は自分自身であって、その人に対して反応する自分を制御できないことへの恐怖感が強いのだと自分は推察する。
だからその意味で、この小林秀雄は真理を突いていると自分は直感で思った。
だから自分と見つめ合う時間が必要なのである。
自分はそうしていろいろな困難を少しずつ越えていったと今は思っている。
その営みを哲学と言うのだと自分は思っている。
後からプラトン、ヒルティや池田晶子、神谷美恵子、エーリッヒ・フロム、ヴィクトール・フランクル、ゲーテ、執行草舟氏、小室直樹などの書いた本を読んでそれに気がついたと思っている。
精神医療には、社会福祉には、、、もしかすれば同時に読書の力も必要なのかもしれない。そこを今自分は考えている。
・・・
補足
・打算のパラドックス
緻密に計画を立てれば立てるほど、実はのちに損をすることが多い
例)転職は失敗が多い
・偶然と必然のパラドックス(≒打算のパラドックス)
現実は自分の力で変えることができると強く思っているほど、実はうまくいかない
例)偶然の力にまかせておくと、実はあとで必然だと分かることが多い
・見えないものと見えるもののパラドックス
目に見える敵(目の前の人間)が敵と思っている時、実は目に見えない自分が本当の敵であることが多い
例)あいつのせいだ➡物事は自分のせいにしておくと後々楽になることが多い