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日記
ヒルティはその『幸福論』のなかで何度も「日曜日は休息にあてよ」と書いていたが、ただボーっとするのは休息だと思えない節がある。それもそうで、今書きながら思い出したのであるが、ヒルティの定義する休息は一般的な日本人がイメージするような休息ではない。ゲーテは極端かもしれないが(ゲーテは、睡眠以外は休みでなく、自分は生涯休まなかったといったことを書いていた)、精神的負荷のかからない活動こそが、日々の仕事の質を上げる。散歩でもいい。自転車で旅に出るのもいい。時にはだらだらするのもいい。ただ、一日中だらだらすることは休息につながらないと自分は経験で理解している。
ということで、今日もいつものように何かしら読んでは考える一日であった。
日曜日は仕事のことを多少意識する。仕事中はメタ的に仕事について考えることはほとんどない。なので日曜日はメタ的に考えることも大事だと今日の自分は思っていた。
障がい者福祉に関わる人間として、支援とは何かということを自分なりに少し深めていこうと考えた。
まずメモにこう書いた
“利害の衝突にあっては、まず損得を先に考えず、建設的に考えていかねばならない。換言するならば、時には敢えて短期的に損を受け入れ、忍耐力を持って取り組まねばならない。長期的にはwin-winの関係になること。これが支援の部分的な意味といえる。”
忍耐、忍耐と書くと昭和の野球部かと思ってしまうが、忍耐というのはヒルティがよく書いていた言葉であって、現代においてもなお重要だと思われる人間の能力だと思われる。すなわち精神の力であり、それを支えるのは文学的な能力、哲学、倫理、信念といった、人間的なものなのである。
こう書いていくと、真面目過ぎて社畜みたいに見えてくる節がある。しかし、自分はそうは思えない。社畜はメタ的に考える力が欠如しているので、判断力に乏しく著しく不安的でもある。なにかあるとすぐに潰れる。ヒルティ的な社畜はそうはならない。
いったい誰に向けてこんなことを書いているのかと自分でも疑問に思い始めたのでいったんストップし、今日書き留めたことをここに書き残す。
・・・
『アメリカのデモクラシー 第一巻 上』
“今日のアメリカ連邦をなす地域に時期を異にしてやってきた移住者たちは、多くの点で互いに異質であった。移住した日も違えば、統治の原理もさまざまであった。それにもかかわらず、これらの人々には共通の特徴があり、誰もが似たような境涯にあった。言語の絆はおそらく人を結びつけるもっとも強力でもっとも永続的な絆である。移住者は誰もが同じ言葉を喋った。” P49
“奴隷制は、後に見るように、労働の尊厳を汚す。それは社会に無為を導入し、それとともに、無知と傲慢、貧困と奢侈を導き入れる。知性の力を低下せしめ、人間の活動力を眠らせる。” P53
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『芸術を愛し、求める人々へ』
この本は想像以上に様々な書物・人物について論じられている。本の本のような性質も併せ持っていて、この本の影響でトクヴィルの本を読もうと思うにいたった。また、この本を書いた人は自分とそこまで年齢が離れておらず、今後も様々な媒体で文章を発表されると思われる。自分のなかで少し注目している。
“オルテガは神を信じなかったり同化したりするのではない。徹底的な孤独を自覚するからこそ、神や他者が不可欠であることを示しているのではないだろうか。孤独は、孤立とは違う。真の孤独を知ることが重要なのだ。この一言が、それを意味する。
人間的生の根本孤独、人間の存在は、現実には彼しかいないことに基づいているのではない。まったくその反対である。実に世界とそこに含まれるすべてのものがあるということである。それゆえ無限に物があるのだ。(中略)これらの物の中に他の人間たちもいるがゆえに、彼は彼らと共にひとりでいるのである。(六三項)
孤独の者たちが群衆として集まっているのではない。群衆であっても、一人の個人、孤独を確立し、他者との区別からこそ群衆が成立するのであると、私は解釈している。” P152
自分はこのあたりを読んで、執行草舟氏が書いていた個性を思い出した。制服のくだりの件で、制服をしっかり着ることが個性で、着崩すことは非個性であると言っていた。自分を殺して初めて自分が確立される。この逆説もまたひとつの大きな社会の真理だと自分は思っている。
“利便は常に弊害があり、便利になればなるほど人間はすることがなくなり、やがて何のために生きているのかすらわからなくなり、悩んでしまう。「贅沢病」という言葉すらもなくなっている現代に、われわれは何を考えていけばいいのかという指針すら失っている。不要なモノやコトに金を使い、あるいは使わされていることにまったく気がつかない。なぜこのような状態に追い込まれてしまったのかを、もう一度考え直す必要がある。” P161
この本の問題意識が自分のなかの仕事上の課題と同じ方向に向ていると思われるので、なかなか考えさせられる本となっている。
物事を考えないで済むようなサービスがどんどん生まれている。いますぐに思いついたのはChatGPTや、宅配サービス(献立作成代行サービスのようなもの)だ。
これが豊かさをもたらすことは間違いないが、諸刃の剣でもある。
自分がすべきことまで考えてもらう「思考代行サービス」までいってしまうとまた問題が発生するように思う。
めんどうくさいことを考えないで済む人間で溢れている社会がデモクラシーを支えられ続けることが可能かどうか。『アメリカのデモクラシー』を社会福祉と関連付けながら読んでいきたい。文庫なら少しずつ読めることはヒルティ『幸福論 第三部』の読了で証明できた。