
■株式会社河出書房新社
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日記
研修で基本的人権等について再度学んだ。
自由権・社会権・参政権
自由権とは、他人に危害を加えない範囲で人は自由に生きる権利があるということ。
社会権とは、障害などで経済的に困窮せざるを得ない人に富を再分配し、国民が国家に自由権を求める権利。
参政権はその名の通り、政治に参加する権利。
今日は読書よりもこちらのほうがいろいろと学びがあったように思う。
哲学的に突っ込もうと思えばいくらでも突っ込める。
だから自分は帰り道、いろいろと考えてみた。
自由に生きる権利があると言う。
それはどのような生き方なのか。
・・・
自由とは何か。自分のなかではある程度あげることができる。
~の自由。~への自由。まずこの二つに二分されよう。
前者は山本七平が言っていたように、日本人に典型的な、金銭的自由を得ることによって不便な生活から脱するという意味の自由。(貧困からの自由)
もっといえば、〇〇できない、という状況からの自由。貧困は食事ができない、生活ができない、といった困難を招く。
ただ西洋的な自由は違うようで、自由と権利はセットだとどこかで読んだ記憶がある。(~への自由)
参加することへの自由。就労することへの自由。移住することへの自由。
これら、ひとつひとつとってみると確かに権利が含まれていることが見えてくる。
アイザイア・バーリンだったか、前者は消極的自由、後者は積極的自由と定義していた。そのあたりの本をいろいろとむさぼり読んだ日のことをここで少し思い出してきた。
・・・
ここまで書いてみて、「自由に生きる権利」という言葉が何を意味するか、実は単純ではないことだけは分かってくる。
そして、本当に自由に生きることがますます難しい時代になってきていると自分は思っていて、障害を持つ人、精神的に苦しい生活を送っている人、身体的に不自由な生活を送っている人、そういう人たち対して自分は何を提供できるのかを考えさせられる。
身体が不自由でも精神が自由であればいいじゃないか。
精神が不自由で身体が自由でも、それは本当の自由ではない。
こう主張することは当事者にとってはどう感じるのだろうか。詭弁なのだろうか。
分からない。分からないことが多いからこそ、日々向き合い、課題をクリアし、発信し、それぞれの人に、固有のベストな生き方を提案するのが今の自分のひとつのテーマであると感じている。
つづく