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新・読書日記379(読書日記1719)

   

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日記

あることについて書いてみようと思った。その10分後、いや、そのことに触れること自体が何か罠にかけられているような感覚があると自覚しながらも、せっかく考えたこと、思ったことなのだからと、やはり書いてみることにした。

今日は2つ、若干いつもと違うことが起きた。正確には起きたというよりも、そういう出来事を目にした、だ。

まずひとつ。

何気なくツイッター(Xという名称をいまだ受け入れられない)を見ていたら、これを投稿できたということは自死が成功した、といったツイートが目に入った。(そういう人たちと自分は日々つながっていたから、これもアルゴリズムかなにかで召喚されてしまったのだろう。)予約で投稿されていて、仮に失敗したとしたらその予約が消されるだろうから、もしかしたら本当に自死してしまったかもしれないと思わせるツイートであった。

その人の背景を見ると、A型作業所に通い始めたばかりだということ、過去に精神病棟に入院していたということ、ASDだということ、等が書いてあった。余計に現実味を帯びるような背景を持っていた。

なぜそうなったのか、と考えるのはその人の友人でもなければ赤の他人なので無意味だと思いやめた。

ただただ、精神医療の脆弱性というか、機能不全というか、限界というものを考えさせられた。

タイムリーに、昨日立岩真也さんの安楽死の話を読んでいたので、どうしてもこのことについて、不本意な死だとしか思えなかった。(仮に本当に起こったものと受け入れるならば)

なんだかかこう、精神医療の世界までもが自己責任の原理が働いているのではないかとすら思えてしまった。

この件についてはしばらく頭から離れないだろうから、胸にしまい、判断を保留する。ネガティブ・ケイパビリティがここで生きる。

  

もうひとつは、たいして収入がない人間が子供を産みたがらないのはバカだといったネットニュースが入ってきたことである。またこの手の話か、と。

自分は字義通りには受け入れないので、正直なところ、「バカ」という言葉には様々なニュアンスが込められているのだと思っている。

いや、ニュアンスがないくらいにさらっと、気軽に口から出た場合もある。言葉というものは、重くもなり軽くもなる。

敢えて、本当に心の底から「バカ」と思ってしまっているのであれば、それは嫌悪や軽蔑といった態度の表れだと自分は感じた。言い方を極端にすればそういう人たちのことを「クズ」と言いたいのだと自分は思っている。

つづけて読むと、産まないと思えるほど(権利があると言えるくらいに)あなたはユニークな生き方をしているのか。世界を変えたいと思わないのか、といった発言もあった。

世界を変えるとは何を意味するのか、どういった意味合いで言っているのかサッパリ分からなかった。

世界は社会の全体、社会は個人の全体と考えれば、結局世界を変えるのは個人個人を変えることだと言える。

その場合、では「個人を変える」というのは何を意味するのだろうか。まさか洗脳するとでもいうのだろうか。

そこからして、自分は発想が極端だなと感じるわけである。目の前の人間の考えを変えることすら、目の前の人間が自死ことすら防げないような人間が、何を偉そうに語っているのだろうか。

そういう反論の道筋が見えて来た時、やっぱりネットニュースは見ない方がいいと思うにいたった。

ひとつひとつの発言をこういう仕方で解釈したところで、本人の言いたいこととは真逆の解釈をしているかもしれない。本人の言いたいことは全然そんなことじゃないと言われるかもしれない。

これが昨今のメディアなのである。所詮はその程度なのである。

そう思うことで納得し、やはり自分は本へと向かう。

『功利主義者の読書術』。池田晶子が死刑囚と対話する『死と生きる 獄中哲学対話』が選書されていたことに自分はびっくりした。こういった類の本に池田晶子の本が登場したことが一切いままでなかったからである。

ちょっとびっくりしたのでいっきにその箇所だけ読んだ。

資本主義では、つねに一番になりたいという欲望のなかに殺人の萌芽があると筆者は分析していた。

自分はそうは思えなかったが、とりあえず池田晶子について書かれている本が存在することにただただびっくりしたのであった。(高橋和巳『邪宗門』も収録されていて、なかなか選書が自分の好みと近い)

つづく

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