
■株式会社河出書房新社
公式HP:https://www.kawade.co.jp/np/index.html
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■株式会社平凡社
公式HP:https://www.heibonsha.co.jp/
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■株式会社人文書院
公式HP:http://www.jimbunshoin.co.jp/
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■株式会社岩波書店
公式HP:https://www.iwanami.co.jp/
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■名古屋大学出版会(国立大学法人名古屋大学)
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■株式会社水声社
公式HP:http://www.suiseisha.net/blog/
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■有限会社論創社
公式HP:https://ronso.co.jp/
公式(旧 Twitter):https://twitter.com/ronsosha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
「人類は大局的に見れば暴力が減ってきている」「人類は大局的に見れば自己家畜化しつつある」「人類は大局的に見れば寿命は格段とあがっている」「人類は大局的に見れば……」と知ったところで、それが何になるのかと問う。それはまさしく本書のテーマとなっている情報であり、情報を制する者が世界を制する、と言っても過言ではない、といった類の本ならビジネス書に任せればよいと思い、そんなことには全く興味がない自分は、逆説的か、やはりこういった、あまり実用的な本を書かないハラリ氏の長々とした本を読んできて、ああ、やっぱりスト―リーがしっかりしている本は読んでいて気持ちがいいな、もっとこういった本はないかな、と、解説書が多い人文書のコーナーを、この本が読み終わったあとで眺めながら思いつつ、自分はこの本を読んだことをきっかけに、次の思考を行うには何を読むべきか、何を知るべきか、何を考えるべきか、と丸善をうろうろしつつ、まずは白水社から出ている『スターリン』という分厚い赤い本、つぎは何故かカフカの本を一冊、その次はそんなことも忘れて本棚に夢中になり、本の本、いわゆる書評ではないが、エッセイでもない、解説書でもないけれども本のことについていろいろな観点から書かれた文芸のある一種のコーナーで仁王立ちし、まじまじと本をみつめつつ、『NEXUS』を読み終わったあと何を考えてみようかと、うろうろ、まじまじ、時にはにやにやし、小谷野敦の本でも読んでみようかと思ったが、ああそうだ、小谷野敦といえばノースロップ・フライ『批評の解剖』に高い評価を与えていたな、ノースロップ・フライ読みてえと思いつつ、でも残念ながら丸善には置かれておらず、ネクサスの意味ネクサスの問いかけネクサスの本質と向き合いつつ、こうやってサミュエル。ベケット風の文体にして今日の記録を書いてみて、お、意外とかけるなと思いつつ、これならトーマス・ベルンハルトもびっくりの、延々と句読点から逃げつつ、あ、そういえばこの間ベルンハルト『消去』がブックオフにあったな、でもあれボロボロのくせに4500円くらいして、あれは絶対売れないよなと思いつつ、さてそろそろネクサスの感想を書いてみようかなと思いつつ、じゃああの本の本質について語ってみようと思うとはいえ、ここにネクサスについて延々と感想を書くのは非常にナンセンスに思えてくるのは当然だとして、じゃあ何を書いてみようかと少し時間を置いてみて、とりあえずさわりだけは書いておこうかあらすじだけは書いておこうか道筋だけは書いておこうか結論だけは書いておこうか重要なところだけは書いておこうか自分の意見だけ書いておこうかいろいろ考え、さて、いよいよ書いてみようかという段にようやくなった。
AIには知識が大量にはあるが知性を感じないと思うのは自分だけかと思っていて、それは何故かというと、AIの語り方は常に一定で、まあそれはChatGPTだけしか使っていないからなのは当然だとしても、もっとなんとかならんかと思うのは自分だけだろうか自分だけがAIに知性を感じず人間味も感じず有無を言わない奴隷よりも非人間的でそれどころか生命としての息すら感じないのは自分だけだろうか自分だけがこんな本を読んでAIの無能感を感じただろうか権力者がAIに置き換わる可能性について思うのはそんなことはさすがに無いだろうと思うのは自分だけだろうかAIが様々な人間の仕事を奪うと言いながらもむしろ仕事がないのは今も昔も変わらずただの怠け者しかいないと思うのは自分だけだろうかアルゴリズムが政治を変えるとは言いつつもテクノロジーだけが本当に政治を大きくかえかねない要因となり得るのは本当に現代だけの特性なのだろうかそんなことを疑問に思うのは自分だけだろうか自分だけがこの本を読んでオードリー・タン絶賛という言葉を見て非常に残念に思ったのは自分だけだろうかオードリー・タンが出した本を一冊は読んだがただのIQが高い人コロナウイルスの感染者を抑えただけの人と思うのは自分だけだろうか自分だけがこの本を読んであまり大きな発見はなかったと思ったのは自分だけだろうかこの本に書かれていることは他の本にも書いてあることでこの本に書かれている独自の視点というか独創性というものはただ情報が分散していくかまとまってしまうかあとは自己修正メカニズムが働くかどうかただその一点に尽きるのではないかと感じたのは自分だけだろうか自分だけがこの本を読んだ後どうせ文庫化されるだろうからさっさと売って他の本代にあてようとおもったのは自分だけだろうか。
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新・読書日記391(読書日記1731)
メモ
『ジョルジョ・デ・キリコ』
”ショーペンハウアーによれば、芸術とはイデアの認識である。意志としての世界が表象として認識される場合、つまり人間の主観に対して客観となる場合、そこには様々な段階があり、この意志の客観化の諸段階において、最も純粋で直接的な表象がイデアである。” P46-47
“人間は通常、時間、空間、因果性などの相互関係において世界を認識し、対象を相互関係の網の目のなかにある個別的事物として捉えている。この関係の網の目が根拠律である。だがショーペンハウアーによれば、根拠律によって世界を認識することは世界を意志との関係において認識することに過ぎない。意志に囚われている人間は根拠律から離れることができないのである。これに対して、一部の天才は認識力が例外的に発達しているために認識を意志から逸脱させ、根拠律を離れて世界を認識することができる。”P47
(キリコ)
“私の想像力にはもはや主題は無く、私の作品もはや一切の意味 [ sens ] 、とりわけ一切の常識 [ sens commun ] を持たなかった [……]。” P49
『文学理論の名著50』
“一般にジョイスの後継者といえばサミュエル・ベケットを指すが、そのベケットは『フィネガンズ・ウェイク』について「これは何かについての本ではなく、何かそのものだ」と述べた。『批評の解剖』にも類似したことが言える。” P183
(アドルノ)
“「エッセイを芸術から分かつのは、エッセイの媒質、すなわち概念であり、美的仮象を抜きにした真理への要求である」。” P192
“アドルノによれば、思考とは本来、概念を用いて対象を同定する行為である(「思考するとは同一化することである」。)” P192
形式主義・・・美を純粋で自律したものと捉える立場
・・・
宮台氏の本を読んで「アフォーダンス≒中動態」を良くも悪くも意識する一日となった。
NEXUSではその本の性質上、スターリンについて多く書かれていたわけあったが、どういうわけか、書店へ行くとスターリンに関する最新の本がずらりと並んでいるのである。これは誰かに仕向けられているのか、いや、でも能動的に本を手に取っているのは自分だからこれは中動態にあたるのか、と考えさせられた。
高校では才能が無いにもかかわらず数学と物理を取ってしまったために世界史の知識が欠如している自分は、ワシーリーグロスマンとスターリンくらいは読んでおきたいと思うに至った。
あと、トロツキーをいろいろ読んでいたせいか、退職代行モームリの社長がトロツキーと似ていると感じるのは自分だけか、と思ってしまった。いや、ちょっと似てると思う。
宮台氏の本は久しぶりに読んだ。『崩壊を加速させよ』を真面目に読んでいたのが2022,23年あたりだから2年ぶりくらいだろうか。
「閉ざされ」という言葉をよく目にした。この言葉が好きなんだろうなと、読者としては感じる。
電車、道端、図書館、カフェ、すぐスマホに向かってしまうのはその環境自体がスマホを手に取るように人間をアフォードしているのはあるにしても、人間が同じ空間にいながらも、儀礼的無関心を装って「閉ざされ」を自ら作り出しているがゆえにスマホを触ってしまうのである、という説明はしっくりきた。
アフォード、アフォード、アフォード。
世の中、能動的に行っていると思っても実は仕向けられていることが確かに多い気がした。
「〇〇したいからそれをやる」ではなく、「〇〇したいときにそれがあったからそれをやる」。
世の中は解釈だけが存在すると言ったニーチェを思い出す。世の中確かに解釈次第。でも解釈次第で見えるものが変わる。それが認識。意志としての世界が表象として認識されるとき、つまり人間の主観に対して客観となる場合、その最も純化されたものがイデア。洗練された思考から出て来る言葉には威力がある。
話を戻すと、本棚は中動態のかたまりではないか。そこにはすぐに手に取れる本で埋め尽くされている。
能動的に手に取るとしても、それは実は手に取らされているのである。手に取れる環境があり、手に取りたいと思わせるタイトルがあり、手に取りたいと思わせる質感があり、手に取りたいと思わせる本の厚みがある。
話をNEXUSに戻す。
デジタルとは質量が消去された世界であった。電子書籍は何をアフォードするのだろうか。
アルゴリズムは何をアフォードするのだろうか。AIは何をアフォードするのだろうか。
情報は何をアフォードするのだろうか。権力は何をアフォードするのだろうか。