閉じる

新・読書日記412(読書日記1752)

■一般財団法人 法政大学出版局

公式HP:https://www.h-up.com

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/hosei_up?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

■有限会社月曜社

公式HP:https://getsuyosha.jp/

公式X(旧 Twitter ):不明

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

日記

googleからアクセスが最も多いのは読書日記747らしい。執行草舟『現代の考察』について書いた日記になる。これは意外だなと、しみじみ思いながらながめた。午後は『意志の倫理学』とパトナムの本を読んだ。今日は残業の疲れをひしひしと感じる一日であった。8時間寝たにもかかわらず、カフェでは何回もコクリ、コクリと頭が落ちていき、意識が断続的に数秒吹っ飛んだ。あと、スマホの機種変を行った。そのためか、今日は一日が非常に短く感じる。短いが、内容は充実したものとなったと思っている。

『意志の倫理学』

メモ

(カント)

“誠実であり、善良であるためには、それどころか、さらに賢明であり有徳であるためには、そのために、何をしなければならないのかということを知るのに、学問や哲学など必要ないのである。” P92

  

“(・・・)ある理論が公理に支えられていることは、その理論が根拠を(そして妥当性を)欠く理論であることの証拠にはならないのです。なぜなら、カント倫理学に限らず、そして他の倫理学説のみならず、すべての学問がこのような公理の上に成り立っているからです。” P113

  

(シラーは)

”(・・・)カントの説明を真に受けて、義務を追い求めて生きると、その者はたいてい不幸になるであろうことを説いています。(第五部第三節「理性の私的使用と公的使用ーーーカントの普遍性への信頼」参照)。しかしながら私自身は、義務から倫理的善をなすことと、その者が不幸になることの間には何らの関係性もないと思っています。” P116-117

➡物事は往々にして逆説的である

  

『存在論抜きの倫理学』

“デューイは、政府が被統治者である民衆の同意を得なければならないという点に関しては、十七、八世紀の啓蒙思想家と意見を同じくしているが、社会は「社会契約」のうえに成立していると見なすべきだという考えを完全に否定している点では、最も有名な啓蒙思想家たちーーーとりわけ、ルソーとカントーーーと袂を分かつことになる。” P7  

  

・還元主義ーーー複雑な物事を細分化して、単純な法則に分解することで全体を理解しようとする立場

・間接義務ーーー自分自身、幸福の状態を保つことは義務であること

・直接義務ーーー倫理的な義務のこと

  

書きながら思い出したのは、『意志の倫理学』の著者の幸福を巡る逆説は、ヒルティや執行草舟氏の意見とほぼ同じ立場だということ。シラーやショーペンハウアーは少々ひねくれものといったところか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。必須項目には印がついています *

© 2025 ラボ読書梟 | WordPress テーマ: CrestaProject の Annina Free