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カミュ『転落』読了+新・読書日記439(読書日記1779)

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感想+日記

金曜日の飲み会から通院。薬局で薬を貰うまでただひらすらエスカレーターのように待つだけ。非常に苦しい一週間だった。ようやく解放された。待ち時間は全て読書に費やした。カミュ『転落』を最後まで読んだ。「転落」という言葉が初めて出てきたと気づいた矢先、小説は幕を閉じた。そのあと解説を軽く読んだ。サルトルvsカミュ論争がこの登場人物の背景と似ているだとか、信号待ちの際に殴られた一発がサルトルからの痛烈な反論と重なるだとか、まあいろいろと解釈の仕方があるみたいではあるが、自分はその点はどうでもいい。とりあえず一人の人生が一冊に凝縮されたような、そんな一冊。この小説のテーマを敢えて独自に意訳するならば「意志の力」だろう。善と悪は意志そのものに内在する。行為の結果が良かったから善だとか、行為の結果が悪かったから悪だとか、功利主義的な発想ではなく、結果が悪くなろうが、意志の力がどれだけ働いたか、どれだけはたらかせることができるか、そういう大きなことを読者に問いかけているのだと自分は勝手に解釈した。そのあとトドロフの本を読んだ。文学に客観的な解釈は存在するかどうか、そのような(文学)理論の構築には自分は興味がないし、そんなことはできない。自分に言えること、それは、神は細部に宿るのではなく、文学に宿るのである。

日記

疲れてしまいとても都心の本屋には行く元気はなかった。なので地元のブックオフへ久しぶりに赴いた。20%オフが終わってからしばらく時間がたった。本棚はそんなに変わっていない印象。ブックオフもある程度マクドナルド化して画一的。フランチャイズがどうのこうので店舗ごとに多少の差、個性はあるかもしれないが汚い本でも相変わらずバカ高い値付けの仕方にはイラっとする。ただ、今日はなかなか豊作だったように思う。雨のなか、まあまあ良い買い物になったかもしれない。

”自由とはむしろ苦行、身を削りながらただひとり孤独に走るマラソンなのです。” P164

『文学が脅かされている』

メモ

文学は馬鹿らしいほどに矮小化されている

“学校で学ばれるのは、作品が何について語っているかではなく、批評家たちが何を語っているかなのである。” P11

“われわれは、人間たることは当然人間に自分で考える術を学び、自分の周囲に見出されるすっかり既成の世界観に満足しないよう要求すると考えている。だがどのようにすればそうできるだろうか。『エミール』においてルソーは、この学習過程を「否定的教育」という表現で呼び、少年が他人の意見を真似しようとするあらゆる誘惑から遠ざかるよう、少年を本から遠ざけていくよう示唆している。” P60-61

“「自分とはまったく別の人間存在の身になって思考すること」。実在の人間であれ、文学の登場人物であれ、他者の視点を採用して思考し感じることこそ、普遍性へと向かう唯一の方法であり、われわれの人間としての使命を達成させてくれるものである。” P63

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