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感想・日記
それは先週の帰宅途中であった。「すみません、アンケートお願いできませんかー?」と声をかけられた。普通の対応であれば「ごめんなさい、今急いでまして、、」と言うのが無難だろう。しかし自分は仕事の疲れとストレスに殺気立っていた。「てめえ、しょうもねえ仕事してんじゃーぞ、あ?」と切り返してしまった(身バレしないと思うが、一応、念のため多少内容を変えている)。悔しかったのか、数メートルつきまとってきた。まあそんなことはどうでもいい、自分が考えたのは、いかなる仕事にも人生を懸けるに値するか?という命題であった。冷静になった今、あのことは申し訳ないと思っている。でもまた同じことをやられたら分からない。迷惑であることに変わりはないのだから。で、『その悩み、カントだったら、こう言うね』にはそのことを考えるにあたってヒントを与えてくれた。この問いの究極は「性産業に従事することは悪いことなのか?」である。この本を読み終わってから次に橘氏の本も読んで横断的に考えてみた。ひとまず秋元氏は肯定的であった。性産業否定論者の常套句として、人間を手段として扱うことは人を「モノ化=道具化」し、人間性を貶めるため肯定できない、という意見がある。慶應義塾大学出版会から出ている『分析フェミニズム基本論文集』に人間のモノ化について書いてあった。気になる方はそちらをご拝読いただきたい。カントからすれば、そのモノ化は、批判する人間の「決めつけ」にすぎず、「手段」として扱わるかどうかは本人の問題だという。自分も同意する。何故なら、この意見に賛同すると、会社で働いている会社員は全員モノ化されることになる(会社は利益を得るためとして、人間をその「手段」として雇っているから)。それを公で公言できる自信はあるだろうか。ふざけるなという声があらゆる方向から聞こえてくるはずである。何をもって「手段」とみなされるのか。ハンマーを想起してみればいい。そこには意志もなければ声も、理性もない。道具化とは極端に言えば奴隷に近い。会社員は奴隷なのか?それはさすがに時代錯誤な考えだろう。よって、性産業否定論者はこのモノ化をラディカルに批判しなければならない。と、まあいろいろと考えさせられる二冊であった。