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日記
やっぱり『目的への抵抗』を読まずにはいられなかった。目的へ抵抗すること、目的を放棄すること。つまり無目的。無目的の合目的性。美。倫理。『カント 美と倫理のはざまで』を思い出した。
するとある声が聞こえてくる。無目的?それなら機械と同じではないか。機械には意志がなく自動的に動く。
本当にそうなのだろうか。機械は目的という名の空間(全体)に存在している限り、それは目的の部分であるのではないだろうか。
人間はどうなのだろうか。人間が機械でない理由とは。それは意志があり、能動だからである。
人間は常に目的という空間(全体)に存在しているとは限らない。ゆえに、部分的に人間は目的から逃れてる。
しかし、今は生存することだけが目的となりつつある。それがアガンベンのいう「剥き出しの生」だということはコロナ禍で話題になった。
美と倫理の相関性について思いをめぐらせる。
美という言葉を眺めてみる。意味という言葉を眺めてみる。目的という言葉を眺めてみる。
人間の存在様式。行動の形式。所作。全体性。
思考の深みにハマる。ユベルマンの声に耳を傾ける。