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新・読書日記459(読書日記1799)

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日記

久しぶりに池田晶子の本を読んだ。やっぱり良い文章だなと、帰宅中の電車の中でしみじみ思った。疲れているなかでも没入できるくらい惹き込まれるものがあった。価値の話にが深く、印象に残った。何回も読んでいるつもりでも、やはりその日その日で印象が変わる。経済的な価値と精神について。敢えて参照せずに思い出しながら書いてみたい。何に価値を感じるか、それは個人個人異なる。ただ、客観的な価値、つまり金銭としての価値も存在する。この境界線とは。価値は客観的であり得るか。書きながらだんだんと思い出してきた。何に価値を感じるか。主観的な価値が先か、客観的な価値が先か。自分は前者のように思う。経済は全体でみれば結局のところ、何に価値を感じるか、それは個々の感性に依存しているように思われるからである。そうでない場合、それは投資だとか投機だとか分類される類のものだろうけれども、投資も感性抜きにするものではないのではないだろうか。直観だとかデータだとか、そういうものに従いながらも、結局は最後は個人の判断能力に委ねられるという意味では、本質からして客観ベースの価値というものは存在しないのではないか。池田晶子は、客観的な価値でさえも、その価値について考えるには言葉なしには考えられないのだから、言葉はそのものが価値であると語る。これは深い。何度読んでも考えさせられる。

  

・・・

久しぶりに『日本の美学』を読んだ。否定の哲学、そんな空気感を感じさせながら講演は進んでいく。ビョン・チョル・ハン『疲労社会』を想起させられる。現代は過剰な肯定で溢れている。存在しているだけで「えらい」とされたり、何かちょっとした暴言を会社で吐かれたら会社側が「悪い」とされ、AIは何を言っても基本的には肯定的に返答をしてくれる。テレビでは誰かが奇妙な最期を遂げて亡くなると「いのちのダイヤル」なるもののテロップがなされる。まるで命より大事なものは世の中には存在しないと言わんばかりに。生存だけが価値になれば動物と何も変わらなくなる。そんな疑問を言うことすら批判されかねない世の中。わずかな例しか今は挙げられないが、そんなヒューマニズムを痛烈に批判し、死ぬ気で読書してみよ、と執行氏は語りかける。読んでいて痛快。

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