■一般財団法人東京大学出版会
公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/UT_Press?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
■一般財団法人 法政大学出版局
公式HP:https://www.h-up.com
公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/hosei_up?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
日記
土曜日の朝はショーペンハウアーとエルンスト・ユンガーと一緒に過ごすことにした。ショーペンハウアーの『随想録』を読むと女性への敵意ともとれる表現が散乱している。なんでそうなったのかというのが個人的に気になるところであった。『ショーペンハウアー』はとりあえず100項くらいまでは進んだ。商人としてうまくいっていた父の後を継がず、哲学と文学の世界に飛び込んだショーペンハウアーの、父に対する複雑な心情、母への軽蔑感がうっすらと見え始め、青春時代はまあいろいろあるなと思ったが、そんなに早いころから(18歳)哲学と文学に目覚めるのは早熟というべきなのだろうか。
父親が急激に老け、その間に母親は父親のことを放置してパーティに明け暮れ、それに対するショーペンハウアーの怒りが見えたのでメモをした。
“「私は女性とはどういうものかを知っている。女性は結婚をただ福祉施設としてしか見ていない。私の父は、長の患いで車椅子に惨めに縛り付けられていて、年老いた召使がいわゆる義務的な情を彼に注いでくれていなかったら、まったくの独りぼっちで孤独だった。母の方は、父が孤独に苛まれている間にも、パーティーを開き、父が苦しみに喘いでいる間も、毎日を楽しんでいた。これが女性の愛というものである」” P90
ここでいう女性は母親のことだ、というふうに理解できる。もしかすれば『随想録』にもそれが言えるのかもしれない。
『ユンガー=シュミット往復書簡』
メモ
“ガリマールから出版され、ジードが私に薦めてくれた『嵐が丘』があります。これは田舎牧師の娘で夭折したエミリー・ブロンテの百年前の小説の翻訳ですが、今、奇妙な形で息を吹き返して来ています。” P74
昔の人の文章を読むと、まあ本当にいろんな小説を読むなあと思わせられる。
ギブソンの本は敷居が高い。なかなか進まない。