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新・読書日記465(読書日記1805)

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■一般財団法人 法政大学出版局

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9784121025975 カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学 蔭山宏 著 中公新書 2020/6/23

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日記

今日はゆっくり休もうと思っていたが、結果的にはいろいろと物を考え、いろいろと本を読み、活動的な一日であった。というか、まあこれは最近のあるあるで、今日は何もしなくていいからとりあえず好きなことしよう、と思える日ほど、後から振り返ってみれば活動的な日だったりする。そして、今日はめちゃくちゃ読んでやると意気込む日ほど、力み過ぎて対して読めなかったり考えられなかったりする。逆説を常日頃から感じて生きているので自分は逆説について関心があり、世に発信したいと思うのだと今思った。

朝のカフェは無理だと思い(ここで今日はゆっくりしようと感じ始めた)、とりあえず電車に乗った。こんなこと書くと怒られてしまうかもしれないが、最近、行き先を決めないまま電車に乗ることが多い(でもしっかりと運賃は払っているので、、、)。乗り換えの駅まで「今日はジュンク堂いくか、それとも、、、」と悩むことは多い。結果的に今日はジュンク堂に足を運んだ。落ち着いた気分で落ち着いた雰囲気の書店にいるだけで疲れが少しずつスーッと無くなっていく感覚を覚えた。今日は芸術と科学はあきらめた。全てまわると本当に3時間くらい時間を取られる。興味あるところだけ徘徊した。ただ思ったのが、いくらジュンク堂とはいえ、そろそろラインナップに型、呼吸といったお店の個性がそろそろ見え始めて来たのである。中型書店にはときどき「お、これはなんだ」と思える本がしれっと並んでいたりするのだけれども、通い過ぎたのか、もはやジュンク堂ですら、ここの棚にはこの本、あそこの棚にはこういった本がある、というのを覚えてしまった。結果的にうれしいセレンディピティのようなものはなかった。だからあとは今読んでいる本の連鎖的につなげていくのみ。ゲーム、ぷよぷよみたいに、本と本をつなげまくるのである。これが積読の醍醐味。(ぷよぷよも連鎖をするために「つむ」。)

生態心理学について。ようやくその心理学における理論的貢献というものが少し見え始めた。行動主義者は心理学を科学にすべく客観性にこだわりすぎた。その考えでいくと「反応-刺激」で動物の行動法則というものを同定していく。しかしその前提として「動物は機械である」というデカルト的な機械論を据えなければならない。しかし、機械は人間の手が加えられなければ動かない。コンピューターでさえ、人間が入力しなければ出力がされない。勝手に動き出す道具は何一つとして存在しない。ゆえに、勝手に動く動物を機械とみなすのは理論的に矛盾している。その理論的弱点を生態心理学は乗り越えている。ここが魅力的だと感じた。そもそも何故生態心理学を学ぼうとしたのかは『子どもたちを森へ帰せ』を読んだからである。宮台真司教授の言説にすっかり魅了されてしまった自分は、イヴァン・イリイチのフェミニズム批判の原点であるギブソンに興味を持ったのであった。

カール・シュミットを読み始めた理由はなんだっただろうか。書きながら思い出してみる。とりあえずエルンスト・ユンガーという面白そうな人の本を読んだからだっただろうか。『カール・シュミット』にはエルンスト・ユンガーとカール・シュミットは思想的に近いといったことが書かれていた。そんなことはどうでもいいのであるが、とりあえず面白そうな本はそのまま前進んで読み、そこから派生して気になった本は連鎖的読書法によってどんどんつなげていくという今のスタイルでいいかなと思って居る。

本屋にいくとまあいろいろと突っ込みたくなる。教育のコーナーに「大学教育はどうあるべきか再度問わなければならない云々」の本があったが、ミル『大学教育について』を読み直して欲しいと自分は端的に思った。大学は予備校じゃないのだから、人文とテクノロジーの両方をまんべんなく学ばせればいいじゃないかと突っ込みたくなった。議論のための議論をしているような本は少なくない。ただ自分も多少似たようなことをしていると思い、突っ込みを入れつつ内省もした。「〇〇とは何か」と問うのは明らかにナンセンスであり時間の浪費だと思った。そうではなく具体的に「〇〇とはどのようなシステムに従属しているか」といった問いのほうがまだ救いがある。

メモ

『アフォーダンスの心理学』

“(・・・)ジェームズ・ギブソンのもっとも重要な理論上の貢献の一つは、知覚が一次的primaryであり、感覚が二次的secondaryであるということを示したことであるーーーつまり、世界についての意識は、刺激作用を受けている自分の神経系についての意識からは独立して生ずる、ということである。” P52

  

・・・

『いま批評は存在できるのか』

こんなことを書くと失礼になるが、自分はこの本の人たちに関心は持っているが嫌いである。働いていると何故本が読めなくなるのかといったタイトルの本を見るたびにイラっとする。働いていても自分は土日も平日も書物を貪りつづけ、発信し、本屋にはできないことを模索する日々である。その本の内容云々ではなく、タイトルからはなにかこう、見下された感じというか、ビジネスマンを舐めていると感じる。少し読んでみた。この方はたまにエゴサをするみたいなのであるが、この記事にたどり着いてほしいと願う。この本は読まれ続けないと客に言われふざけんなと思ったみたいであるが(意訳)、断言しよう、その本はいつか見事に忘れ去られる。執行草舟さん、池田晶子のような本物の言葉だけが残るのである。なので私からもお客さんとしてのアドバイス。池田晶子と執行さんの本をとりあえず全部読んでから物を書いてみてはどうか。

  

・・・

『カール・シュミット』

メモ

(キルケゴール)

“「例外は自己自身を考え抜くことによって同時に普遍を考える、例外は自己みずからを説明することによって普遍を証明する」” P21

(シュミット)

“「常態はなにひとつ説明せず、例外がすべてを証明する」” P18

  

“国家が存続しているということは政治的決定がなされること、それをなしうる主権者が存在することを意味する。” P23

  

”「近代国家論の重要な概念はすべて世俗化された神学的概念である」というよく知られたシュミットの言葉は、神学における神が世俗化され主権者となったのに対応して、神学における奇跡は世俗化されて例外状態となったことを示している。” P24

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