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新・読書日記472(読書日記1812)

■株式会社金剛出版

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■株式会社白揚社

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■株式会社光文社

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■書籍出版 双風舎(2015年閉業)

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■株式会社言視舎

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日記

日曜日の朝は自分でもびっくりするくらい落ち着いている。土曜日は感覚が過敏でまわりの騒音や話し声だけでイライラしてしまい精神的にまいった。しかし今日はそんなことは全くなかった。メンタルが常に安定しており。おそらく睡眠がしっかりとれたことが大きいとみている。まわりの音が気になるかどうか、心に余裕があるかどうか、それは疲労の度合いや睡眠時間に著しく比例すると思うと、なんと心というのは脆いのだと思ってしまった。逆をいえば、ここがコントロールできればだいだいのことはうまくいくのかもしれない。

  

とりあえず読みたい本だけをカバンに入れドトールへ。午前中は『デリダの遺言』と『奪われた集中力』という本を読んだ。

メモ

マッハの感性主義・・・・絶対不変な、物理的に客観的なものはないと考える立場

“(・・・)科学というのは、客観的にーーーつまり主観から独立にーーー存在している「この世界に生じてくる解明不能な諸現象」を解明しようとするものなのか、それとも、人間の客観によって人間に都合のよいように構成された”客体”を、人間にとってわかりやすいように認識しているだけなのか(以下省略)” P120-121

   

アルケー・・・・根源

   

『奪われた集中力』

“ふと、ぼくらの時代のモットーとは「人生を全うしようとしたんだが、ほかのことに気を取られちゃった」なんだろうか?と思った。インフルエンサーらしきドイツ人がカメラ付きのスマホに向かってがなっていて、その考えも邪魔されてしまった。「ぼくはここブルーラグーンにいます。人生最高!」” P13

  

“ぼくらの文明にかゆみパウダーがまぶされているような感じだ。” P13

  

・・・

集中力がないといろいろと人生のなかで壁が立ちはだかってくることは間違いない。集中力はあるに越したことはない。しかし、、、、自分はそれ以前の前提を問いたい。なぜ集中力がない状態の人間がそんなに多いのか?そもそも集中力がなぜこんなにも求められる社会構造になってしまったのか?愚問だろうか?そうでもない気がしてくる。事務作業のアウトソーシング、が1分1秒単位でその料金が決まる世の中だ(業務プロセスを外部委託するサービス「BPaaS」)。「時は金なり」がますます現実化している。こんなとこにゆっくり文学を読む人が減ってきて当たり前じゃないかと思えてくる。しかし、『愚行の社会学』はそんな社会の矛盾点をあれこれと可視化してくれる。この本、なかなか読み応えあり。良い本と出合えた日曜日。あと、こういう世の中をぶったぎるような武器を、発想を、アイデアをベイトソンの本から模索してみたい。

  

さきほど「読書とエコロジー」と題するエッセイを軽く書いた。メルカリで本を譲り合ってみんで「高い」本をまわしていこうじゃないか!という発想はAIによってとことんその理論的脆弱性を指摘された。まだまだ考えるポイントは多い。ただ、何事も参入者が増えるとその業界は陳腐化する(婚活ビジネス等)という自分の持論と両立しているのは不幸中の幸いか。

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