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ペトラルカ『無知について』読了+新・読書日記489(読書日記1829)

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『無知について』感想

ペトラルカをいっきに最後まで読んだ。自称アリストテレス主義者、アリストテレス信者への容赦ない反撃、キケロへの賞賛、アウグスティヌスへの愛。ルネッサンス前のとあるフマにスト(ユマニスト?)の本音が凝縮された一冊。嫉妬への諦念、権威主義者への失望、無念、苦悩・・・ペトラルカという、およそ700年前に生きた人間と一体になれた。そんな日曜日だった。いろいろとメモを書いたのでここに記す。

  

キケロをべた褒めするペトラルカ

“まことにキケロの議論の眼目は、ほぼ以下のようなものです。ーーーかれはほとんど天地のあらゆることがらについて述べます。すなわち、天球や星辰、大地の安定性や肥沃さ、海洋や河川の利便、季節や風の多様さ、また草や植物や樹木や動物のこと、鳥や獣や魚のすばらしい性能、これらすべてが提供するさまざまな便宜、たとえば食物や労働や運輸や病気の治療、獣や魚や鳥の狩猟、建築や航海、また数えきれないほどの諸技術、それから人知や自然によって考え出されたあやゆるもの、さらに、身体や感覚や肢体の、すばらしい結びつきや仕組み。最後に理性 [ 観想的活動 ] や実践的活動。これらについての説明を、かれはひじょうに細心かつ雄弁におこなっているので、かつてこうした問題についてこれほど緻密鋭く論じた著作家がいたかどうか知りません。” P83

  

ペトラルカが語る、アリストテレスに足りないもの

“わたしの見るところ、アリストテレスはたしかに、徳をみごとに定義し、分類し、するどく論じ、さらに悪徳や美徳のあらゆる特質について論じています。それを学び知ったとき、わたしの知識は以前よりすこしばかり増えます。(・・・)しかし徳を愛し悪徳をにくむよう、ひとの心をかりたてたり燃えたたせたりする、ことばの力や炎が、かれの論述には欠けています。” P113

   

意志と知性について語るペトラルカ

“(・・・)意志の対象が善であるなら、知性の対象は真理です。しかし善を意志することは、真理を知ることよりもすぐれています。” P116

  

・・・

日記

気になる本、積まれたままの本、興味ある本、なんとなくカバンに突っ込んだ本。池澤夏樹さん「いつでも読むのは目の前の一冊なのだ」の言葉の如く、ただそこにあったから読んだ。

  

まずはメモを記す。

『自由からの逃走』

“中世社会は個人からの自由を剥奪しなかった。というのは、「個人」はまだ存在しなかったからである。人間はまだ第一次的な絆によって世界に結ばれていた。” P54

➡ヤコブ・ブルクハルトの叙述にそう書いてあるとのこと

  

『社会学の地平』

「プロ倫」について

“実は倫理論文には「資本主義の精神」の定義がないだけでなく、具体例もほとんど出てこない。” P50

   

『教育学のパトス論的転回』

“(・・・)私たちは「人間形成」の、言葉にし難いパトス的契機をどのように語り、それをロゴスとすることができるだろうか。” P292

  

(フランクルについて語られる)

“(・・・)彼は、物質的な豊かさの中で生じる「退屈」「無関心」などという慢性的な気分を「実存的空虚(Existenzielles Vakuum)」(=その人独自の存在の意味が実感できないむなしさ)の顕れとして捉え、これを「生活上のニヒリズム」と呼んだ。” P300

    

・・・・・・

今日も相変わらずジュンク堂へ行ってしまった。人ごみや喧騒が苦手ではあるが、その苦手なものに敢えて体当たりしてみようと、その意志にまかせた。結果的に、電車で延々と『日陰者ジュード』やペトラルカ『無知について』を読むことが出来たので、集中力を維持する為には必要だったのかもしれない。

   

啓蒙活動には何の効果もないことはあらゆる歴史やあらゆる作家の文章から学んだ。

何をするべきか、何を広めていくべきか。そんな問いは無意味なのかもしれない。結局、後者の、啓蒙活動を諦めたとある作家は、散々大衆や政治家をこき下ろして罵詈雑言を浴びせた数年後、政治活動に夢中になり、そちらにシフトした。ほかにやることはないのだろうか。本当にないのだろうか。と思いながらも、それはその人の運命だと割り切って、陰ながら応援したい。選挙が近くなると政治的な発言、ニュース、リツイートがX(旧Twitter)で増える。ほかにやることはないのだろうか。本当にないのだろうかと思いながらも、それはその人の勝手だと割り切るしかない。

  

ひとつだけ仮説を立てて読書日記を終了したい。

「実存的空虚」について。物質が豊かになればなるほど人は退屈に対する耐性がどこまで低下するのだろうか。昔の精神分析家は定量的に分析したものをなかなか本にしないので、そのあたり、やっぱり科学的手続きには欠ける。でも相関関係はありそう。退屈には勝てないので外へ行く。外へ行くと退屈を忘れさせるものが沢山ある。人はそこに注意をとられる。たのしむ。でもそれはそれでハッピーじゃないか。

   

(敢えて匿名で引用する)

“「何故生きるかを知っているものは、どのように生きることにも耐える」” P309(『教育学のパトス論的転回』)

政治に不満がある人は、どのように生きることにも耐えることはできない。おそらく。

であれば、変えるべきはまずは自分ではないか。政治が先なのか。という疑問がやはり最後までちらつく。

「投票せよ」と口うるさく言う人間よりも、意外と休日に充実して過ごす人の方が賢明なのだろう。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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