新・読書日記502(読書日記1842)
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日記
ある本の帯に書いてあった「まだ考えることを諦めたくないあなたに」が響いた。
考えることを諦める、それはやや過激な言葉を使うと「家畜化」と言える。
自己家畜化という言葉について少し前までうんざりしていたが、執行さんの本を読んでまたこの言葉が自分のなかで息を吹き返しつつある。
少子化の原因は「楽しいことが世の中にいくらでもあるからだ」といった著名人がいたが、ある程度真理をついているように思われた。
「野生ー家畜」は脱構築できるだろうか。この二分法はかなり強力だと自分には思われる。野性性(野蛮性ともいう)を抜かれた人類は、良くも悪くもおとなしくなり、動物園的な平和を好むようになるのではないか。その延長線上に、飼いならされた、「学習性無力感」を彷彿させる動物の姿があり、人間の姿がある。
「やらなかった後悔ーやったあとの後悔」は、往々にして前者のほうが後を引きずる。
しかし後悔が「やったか、やらなかったか」の二分法だけのはずはない。
そこに「大いに考えたか、大いに考えなかったか」の要素も加えるべきではないか。
後悔の脱構築。
考えるための文学。明日もペトラルカを読む。
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