読書ブログ|焦りすぎてアリストテレス読む
ここは小さな読書ブログですが、ページをめくるたびに世界の見え方が変わる瞬間を残しています。
本記事は「読書ブログシリーズ」第5部・ユーモアと誤配の読書の入口にあたる。
これまで第1部〜第4部では、孤独と倫理、文学のズレ、社会的文脈、そして「読書日記アプローチ」の実践方法を探ってきた。
ここから第5部では、真剣さの只中に忍び込む「ユーモア」と「誤配」を主題にする。
ユーモアと誤配の力
ユーモアは単なる笑いではない。
それは真剣な思索を別の角度から照らす「余白」である。
「焦りすぎてアリストテレス読む」
「こじれすぎてコジェーヴ読む」
こうした文学的なズレは、愚かしさと真剣さのはざまから、思索の新しい契機を生み出す。
梟コメント:
笑える誤読は、同時に深い読書でもある。
ユーモアと誤配は、読書が「予定調和」を破る瞬間の名である。
第5部で扱う柱
第5部では、以下のテーマに沿って展開する。
- 語感の快楽
文学ギャグの実験と、言葉のリズムが生む哲学性。 - ズレの哲学
形式と内容、意味と表現の食い違いが示すもの。 - 誤配可能性
意図せぬ読み違いや誤解が、逆説的に新しい問いを生む力。
本シリーズにおける第5部の位置
第1部〜第4部は、いずれも「真剣な読書」の道筋を示してきた。
それに対して第5部は「遊びとズレ」を正面から扱う。
笑いを軽視するのではなく、読書の営みにとって不可欠な契機として位置づける。
梟コメント:
笑いと誤配を恐れないこと。
それがむしろ読書の誠実さを支える。
結び
真剣であるがゆえに滑稽になり、滑稽であるがゆえに誠実になれる。
第5部「ユーモアと誤配の読書」は、その逆説をめぐる試みである。
次の記事でもまた、読書ブログならではの読後の余韻を記していければ幸いです。
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