読書ブログ|「誠意は返品不可、愛もまた同様」の日記
返品という言葉の響きには、どこか救済めいた希望がある。
「間違って買った」「余計に持ちすぎた」ものを返せるのなら、人は軽くなれる。
だが、文学や生のなかには、返品できないものがある。
その最たるものが――誠意であり、そして愛である。
誠意は返品できない
誠意を差し出したあとで、「やっぱり取り消したい」と思う瞬間がある。
相手に届かなかったとき、誤解されたとき、あるいは自分自身が恥ずかしくなったとき。
だが、誠意は一度差し出したら最後、返品できない。
それは贈与に似ている。
送り主がどう思い直そうと、受け取った側の時間に刻まれてしまうからだ。
愛もまた同様
愛もまた返品不可能だ。
「返してください」と言っても、記憶や身体や言葉のなかに痕跡が残る。
取り戻すことはできない。
文学はしばしば、その「不可逆性」を物語として描いてきた。
愛したこと、誠意を持ったこと――その痕跡こそが人を生きさせると同時に、苦しませもする。
読書日記アプローチから
読書日記アプローチの視点でいえば、
返品できない誠意や愛は、書き留めざるを得ない出来事である。
- 「返品不可のページ」が積み重なっていく。
- 書かれたものは、すでに「誠意の記録」として残ってしまう。
- 読み返すたび、当時の自分の「差し出したもの」に出会い直す。
返品できないものを記録すること。
そこに、読書日記の倫理があるのかもしれない。
梟コメント
私はふと思う。
もし本屋に「返品不可コーナー」があったなら、
そこに並ぶのはラブレターや日記帳や哲学書なのだろう。
そしてその棚には、こんな小さな札が掲げられているはずだ。
「返品不可。誠意と愛は例外です。」
結び
「誠意は返品不可、愛もまた同様」――
それは文学と読書の核心に触れる言葉だ。
私たちは返品できないものを抱えながら読む。
その不可逆性を、笑いと苦味の両方で受け止めながら読む。
返品不能なものこそが、読書の真実を照らし出す。
そしてその日記は、やがて誰かの世界を揺らすのだ。
コメントを送信