読書ブログ|「誠意は返品不可」な愛の読書
この読書ブログ「読書梟」では、日々の読書を通じて考えたことを記録しています。
第2部「文学と孤独の読書」の締めくくりにふさわしいテーマ。
ここでは「誠意」と「愛」を返品できないものとして考え、
読書を通じて浮かび上がる倫理と感情のあり方を探ってみたい。
誠意は返品できない
誠意は、形式や制度に換算できない。
「返品不可」とは、取り消しの効かない責任を意味する。
- 口先の謝罪は返品可能だが、
- 誠意は一度差し出せば引き戻せない。
この不可逆性こそが誠意の本質である。
愛もまた返品不可
愛も同じだ。
「試してみる」ように愛することはできても、
本物の愛は返品できない。
文学はしばしばこの不可逆性を描いてきた。
- 太宰治の絶望的な愛
- カフカの不安に満ちた愛
- サルトルの責任としての愛
どれも「返品できないもの」としての愛の姿を示している。
読書と不可逆性
読書もまた返品できない行為だ。
一度読んだ言葉は、忘れたように思えても痕跡を残す。
読書が私たちを変えるのは、
その不可逆性に由来する。
- 読む前の自分には戻れない
- 言葉は沈黙のうちに響き続ける
読書も誠意も愛も、取り消せないものとして私たちを形づくる。
梟コメント
私は「誠意は返品不可、愛もまた同様」というフレーズに惹かれてきた。
それは文学的ユーモアでありつつ、倫理的宣言でもある。
返品できないからこそ誠意は意味をもち、
返品できないからこそ愛は真実を帯びる。
その重さを受け止めることが、
孤独な読書の倫理なのだ。
結び
文学が描く愛と誠意は、いつも「返品不可」である。
それを笑いに転じることもできるし、
倫理として受け止めることもできる。
いずれにせよ読書は、
誠意と愛を「取り消せないもの」として生きる練習の場になる。
こうして書き残すことは、私にとって読書ブログを続ける意味そのものです。
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