読書ブログ|こじれすぎてコジェーヴ読む
読書ブログという形をとりながら、私自身の思索と読書体験を交差させてみたいと思います。
人間関係も、歴史も、哲学の議論も――
行きつくところ「こじれ」に満ちている。
そして、そのこじれを読み解こうとしたとき、
本棚の奥からコジェーヴが顔を出す。
コジェーヴとは誰か
- アレクサンドル・コジェーヴ
20世紀に『ヘーゲル読解入門』を講じ、
「承認」の思想を広めたフランスの哲学者。 - こじれの哲学者
ヘーゲルの弁証法を、歴史の終焉と人間の闘争にまで
引き延ばした人物でもある。
「こじれ」と承認
- 他者との承認関係は必ず「こじれる」。
- 欲望が欲望を呼び、争いが争いを生む。
- だが、そのこじれがなければ「歴史」も「人間」も生まれない。
つまり、コジェーヴを読むとは、
こじれを回避するのではなく、
こじれを生きる方法を探ることに他ならない。
読書日記アプローチから
読書日記アプローチでは、
「ズレ」や「誤配」を重視してきた。
コジェーヴを読むことは、
そのズレや誤配を「歴史的こじれ」として見つめ直す試みになる。
- こじれは不幸ではなく契機。
- 誤解は破局ではなく新しい関係の始まり。
- 読書は、そのこじれを生き延びるための記録。
梟コメント
こじれすぎて、だからこそ読める本がある。
それがコジェーヴだ。
人生のこじれがなければ、
「承認」の言葉はただの理屈でしかない。
だが、こじれのただ中にいる読者にとっては、
コジェーヴの一文一文が奇妙な救いとなる。
結び
「こじれすぎてコジェーヴ読む」――
これはただの冗談めいた言葉遊びではなく、
読書と人生を結ぶ隠喩そのものだ。
こじれを避けるのではなく、
こじれに耐え、こじれを抱え、
その中でなお他者に手を伸ばす。
そこに、読書の倫理が宿る。
読書ブログを通じて浮かび上がる小さな思索の断片を、これからも綴っていきたいと思います。
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