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読書ブログ|スマイル0円と誠意の文学

読書ブログという形をとりながら、私自身の思索と読書体験を交差させてみたいと思います。

本記事は「読書ブログシリーズ」第3部・社会・文化・制度を読むの一篇である。
「スマイル0円」という言い回しは、感情表現が制度化され、形式として供給されることの象徴だ。
このフレーズを文学のまなざしに晒すとき、公共性と倫理の問題が静かに輪郭を現す。


0円で配る笑顔、制度に組み込まれる感情

サービス現場では、笑顔が業務手順の一部として求められる。
そこに宿るのは個人的な情動というより、役割としての感情だ。

「感情がフォーマットに従うとき、誠意は形式に変換される」

形式化は秩序を生むが、同時に「誰の声でもない声」を増やす。
文学はこの無個性の声に、しばしば不穏な空洞を聴き取る。


誠意に値札はつくのか

「0円の笑顔」は、誠意の価格をめぐる逆説を露呈させる。

  • 価格がついた瞬間、誠意は商品化される
  • 価格が0円と記されると、価値がないかのように見えてしまう

「誠意は勘定に合わない。だからこそ誠意なのだ」

誠意は計量・換算に耐えない。
それは返品不可の応答としてしか立ち上がらない。


公共性と「見える感情」

公共の場での笑顔は、摩擦を抑え、場を滑らかにする。
しかし、滑らかさが過剰になると、他者の苦痛や差異が見えなくなる。

  • 公共性は「誰にでも同じ」を目指す
  • 倫理は「この人にいま必要な違い」を求める

両者がずれる地点に、制度と倫理の緊張が生まれる。


読書日記アプローチの視点

読書の記録を書くとき、私は自分の文章にも「スマイル0円」を疑う。
伝わりやすさのために整えた言葉が、誠意から遠のいていないか

  • 形式のための善い感じの文句
  • それでも書かずにいられない、固有の応答

「日記は、形式と誠意の間に引かれる一本の線である」

読書日記アプローチは、その線を消さずに残す実践だ。
誤配や揺れを含めて、公共へと開く。


梟コメント

「スマイル0円」は、やさしさの簡易包装だ。
けれど包装だけが行き交うと、中身の重さは失われる。
誠意は包めないし、返品もできない。
文学はその不器用さを、むしろ人間の品位として描いてきた。


結び

制度が求める笑顔と、倫理が求める応答。
その隙間で私たちは本を読み、言葉を選び直す。
読書は、形式化された優しさを超えて、取り消せない誠意へ触れる練習である。

📚 読書ブログシリーズ全目次はこちら

読書ブログを通じて浮かび上がる小さな思索の断片を、これからも綴っていきたいと思います。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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