読書ブログ|ズレを返品したい読書
この読書ブログ「読書梟」では、日々の読書を通じて考えたことを記録しています。
読書をしていると、どうしても「ズレ」が生じる。
著者の意図と自分の理解のあいだ、
時代背景と現代の読者のあいだ、
そして形式と内容のあいだ。
それを「返品」できればどんなに楽か――。
だが実際には、このズレこそが読書を動かす燃料なのだ。
ズレという読書体験
- 読んでも「腑に落ちない」。
- 理解が「すれ違う」。
- 言葉が「誤配」される。
こうしたズレは失敗に見えるが、
実はそこでこそ読者の思考が試されている。
返品できないからこそ、ズレを抱え続ける。
その持ち重りが「読書の記憶」になる。
読書日記アプローチから
読書日記アプローチにおいて、ズレは単なるノイズではない。
- 「ズレ」は読書の中心的契機。
- 「誤配」こそが思索を生み出す。
- 「返品不可能性」が読書を倫理化する。
ズレを返品したいと願う瞬間に、
むしろ読者は自分自身の立場や欲望を見つめ直す。
梟コメント
ズレを返品したいとき、
私はむしろそのズレに「保証書」をつけたい気分になる。
- 読み違えた自分の跡こそが読書日記になる。
- 理解できなかった箇所が、あとから効いてくる。
- 返品不能なズレが、後日「発酵」する。
読書とは、結局「返品センターのない購買行為」なのだ。
結び
「ズレを返品したい読書」――
それは読書における最大の不満であり、最大の宝でもある。
ズレを返品できないからこそ、
人はそのズレとともに考え続け、
時に笑い飛ばし、時に苦悩する。
返品不能のズレの山こそが、
私たちの読書の歴史を形づくっている。
次の記事でもまた、読書ブログならではの読後の余韻を記していければ幸いです。
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