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読書ブログ|プライド多めで返品希望の文学

読書ブログという形をとりながら、私自身の思索と読書体験を交差させてみたいと思います。

本を読んでいるとき、あるいは書評を書いているとき、
「ちょっとプライドを多めに持ってきてしまったな」と気づくことがある。

他人の文章を前に、自分の知識や立場を守ろうとする。
「これは知っている」「ここは間違っている」と、先に自分を大きく見せてしまう。

だがそのプライド、もし返品できるなら返品したい。
文学の前では、余計な荷物になるからだ。


プライドと読書の相性の悪さ

  • プライドは理解を曇らせる。
  • プライドは新しい声を拒絶する。
  • プライドは孤独を恐れて、自己弁護を優先する。

だが読書は、本来「開かれること」だ。
読書体験に必要なのは、知識を誇示することではなく、
知らなかった自分を受け入れる勇気である。


読書日記アプローチから

読書日記アプローチでは、プライドはむしろ「返品対象」だ。

  • 書き残すのは「知らなかった自分」の記録。
  • 形式に誤配された言葉を素直に受け取ること。
  • プライドを脱ぎ捨てることで、本の声が聞こえてくる。

返品希望のプライドが山積みになった日記こそ、
最も誠実な読書記録になるのかもしれない。


梟コメント

私はしばしば「返品窓口」に立っている気分になる。
手には「多めに仕入れたプライドの在庫」。

けれど文学は言う――
「返品不可です。そのかわり、誠意で読みなさい」と。

返品不能なプライドを抱えたまま読む。
そこに、文学の皮肉めいた教育力がある。


結び

「プライド多めで返品希望の文学」――
それは読書の滑稽さを映し出す鏡だ。

プライドは返品できない。
だが、その不良在庫を抱えたまま読むことで、
私たちは文学の不思議なユーモアに出会うのだ。

返品できないプライドがあるからこそ、
読書は笑えるし、深まる。


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次の記事でもまた、読書ブログならではの読後の余韻を記していければ幸いです。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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