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読書ブログ|働き方と読書の関係を問い直す

ここは小さな読書ブログですが、ページをめくるたびに世界の見え方が変わる瞬間を残しています。

働き方を考えるとき、私たちは効率や生産性の言葉に縛られがちだ。
しかし、読書はその軸から外れた営みであり、むしろ「余白」としての意味を持つ。
働き方と読書を結びつけることは、制度に吸収されない新しい時間の価値を考えることでもある。


労働と知の制度化

近代以降の働き方は、知識や技術を「効率的に使う」方向へ進んできた。

  • 労働時間の管理
  • 能力の測定
  • 成果主義的な評価

知識や思考ですら、制度に従属する「リソース」として扱われてしまう。

だが読書は、この制度化された時間感覚からズレを生じさせる。
ページをめくる行為は、成果ではなく「問い直し」に開かれているからだ。


読書日記アプローチと働き方

読書日記アプローチは、読んだものを自分の言葉で引き受ける試みだ。
これは「働くこと」と強いコントラストを持つ。

  • 仕事が効率を求めるのに対して、読書は非効率を生き残らせる
  • 仕事が成果を可視化しようとするのに対して、読書は内面の不可視を守る
  • 仕事が組織的な役割を重んじるのに対して、読書は個人の孤独を承認する。

こうして読書は、働き方を問い直す視座となる。


働くことの倫理と読書

読書は働き方を否定するのではなく、働き方の盲点を照らす。

  • 誰のために働くのか
  • 何を犠牲にして働くのか
  • 仕事と生活の境界をどう守るのか

読書は、これらを個人に突き返してくる。
「働き方改革」よりも先に、「生き方改革」を読書は促すのだ。


梟コメント

私は読書を「仕事からの逃避」ではなく、「仕事の意味を問い直す余白」としてとらえている。
読書日記に書き留めることで、働き方の制度的な圧力に抗し、自分の言葉で生き方を選び直せる。

読書は、生産性の論理を超えたところで人を支える「倫理的実践」なのだ。


結び

働き方と読書は、一見別の領域に見える。
しかし、制度に縛られた生を問い直す上で、この二つは深く結びついている。

読書は働き方に「誤配」を持ち込み、倫理的な再考を促す。
その営みこそが、読書日記アプローチの核心の一つなのだ。

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この記事もまた、読書梟の読書ブログの一ページとして積み重なっていきます。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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