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読書ブログ|可塑性と読書の未来

読書ブログという形をとりながら、私自身の思索と読書体験を交差させてみたいと思います。

本記事は「読書ブログシリーズ」第3部・社会・文化・制度を読むの最終回である。
ここまで量的読書文化、制度的読書、倫理的読書の問題をめぐってきた。
ラストに取り上げるのは**可塑性(plasticity)**である。


可塑性とは何か

「可塑性」とは、柔軟でありながら、形を与えることができる性質。
哲学者カトリーヌ・マラブーは、これを「受け取ること」と「壊すこと」の両義性をもつと論じた。
読書においても、可塑性は次の二面を抱える。

  • 本から形を受け取り、自らを変える
  • ときに形を壊し、新たな意味を生む

読書は、硬直した器ではなく、変形可能な場である。

「読むとは、形を変え、形を壊すことだ」


読書と制度のあいだで

学校教育や出版制度は、ときに読書の型を固めすぎる。

  • 「正しい読み方」
  • 「効率的な要約」
  • 「実用的知識の吸収」

これらは必要であると同時に、読書の可塑性を損なう危険を孕む。
制度は形を与えるが、それが唯一の形になると読書は死んでしまう。


読書日記アプローチと可塑性

読書日記を書くことは、読んだ形をそのまま残すのではなく、
書きながら変形させる行為である。

  • 余白に揺れを刻む
  • 誤配やズレを受け入れる
  • 読みの「壊れ」を引き受ける

ここに読書の未来へのヒントがある。
固定化ではなく、生成の形式としての読書。


未来の読書像

可塑性をキーワードにすると、読書の未来は「柔らかい知」として展望できる。

  • AIによる要約や推薦が普及しても、読者は変形を担う主体である
  • 読書はデータの消費ではなく、形を変える出来事である
  • 日記・批評・創作のあいだを自由に横断する営みが主流になるだろう

未来の読書は、形式を壊し、また新しい形式を生む「可塑的実践」となる。


梟コメント

読書とは塑像のように自らを彫る行為だ。
だが石ではなく、柔らかな土である。
だからこそ壊れ、だからこそ作り直せる。
未来の読書は、壊すことを恐れない。


結び

第3部を「可塑性」で締めくくるのは偶然ではない。
社会・文化・制度が読書を固めても、読書はなお変形し続ける。
この柔らかさこそが、読書の未来を支える基盤である。

📚 読書ブログシリーズ全目次はこちら

こうして書き残すことは、私にとって読書ブログを続ける意味そのものです。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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