読書ブログ|小説『落とし物センターにて』と返品不可能性
本を読むこと、そして書き残すこと――それを読書ブログとして続けているのが「読書梟」です。
第2部「文学と孤独の読書」の一篇。
ここでは私自身が書いた短編小説『落とし物センターにて』をめぐり、
「返品不可能性」というテーマを改めて考えてみたい。
落とし物センターの寓話
小説の舞台は、匿名性と忘却が支配する「落とし物センター」。
そこに集まるのは財布や傘だけではなく、
誠意や約束、あるいは誰かに向けて発した言葉の残骸。
人は失ったものを探しに来る。
しかし、それは必ずしも「取り戻せる」ものではない。
返品不可能性という思想
私がこの小説で描きたかったのは、
「人間関係や倫理的なやり取りは返品できない」という事実である。
- 一度発した言葉は、撤回しても痕跡を残す。
- 誠意は形式に変換できない。返品も交換も効かない。
- 愛もまた、返却やキャンセルとは無縁である。
つまり「返品不可能性」は、人間存在そのものの条件である。
読書と落とし物
読書もまた一種の「落とし物センター」ではないか。
ページをめくるたび、私たちは過去の誰かの思考を拾い上げる。
しかしそれは完全に「返す」ことも「所有する」こともできない。
読書は拾得であり、同時に永遠の喪失である。
梟コメント
「返品不可能性」という言葉には、
文学的ユーモアと哲学的真剣さが共存している。
誠意や愛を「返品したい」と思うのは、
人間が関係に傷つき、負担を抱えている証でもある。
だが返品はできない。
その不可逆性を受け入れるとき、読書も人生も真に「始まる」のだ。
結び
『落とし物センターにて』は、
一見風刺的で軽妙な物語に見えるかもしれない。
だが根底にあるのは、
「倫理は返品できない」という切実な認識である。
返品不可能性をめぐる読書は、
私たちに「受け止めるしかないもの」を教えてくれる。
次の記事でもまた、読書ブログならではの読後の余韻を記していければ幸いです。
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