読書ブログ|村上春樹のズレと沈黙をめぐる読書
本記事は「読書ブログシリーズ」第2部・文学と孤独の読書の入口にあたる。
村上春樹の作品はしばしば「ズレ」と「沈黙」をテーマに読み解かれる。
その語りは現実からわずかに距離を取り、空白を残しながら進む。
この距離と空白こそが、孤独と倫理の文学的な姿である。
第一の観点:ズレ
村上文学は「リアル」と「非リアル」の間にズレをつくり出す。
現実から半歩はみ出すことで、世界の意味はゆらぎ始める。
「世界は少しだけ、ずれて見える」
梟コメント:
ズレは逃避ではなく、むしろ倫理の余白を生む。
ズレによって、同調圧力から解き放たれた「考える空間」が立ち上がる。
第二の観点:沈黙
登場人物はしばしば沈黙する。
その沈黙は無言ではなく、むしろ最も重い語りとして響く。
「語られなかったことが、最も雄弁だった」
梟コメント:
沈黙は、言葉を欠いた空虚ではない。
むしろ「言えないこと」を受け止める形式であり、そこに倫理が宿る。
第三の観点:孤独
ズレと沈黙の交差点に、孤独がある。
村上文学の孤独は、社会から切り離された「ひとり」ではなく、社会を問い直す「ひとり」である。
「孤独は壁ではなく、窓である」
梟コメント:
孤独を生きることは、外界を断ち切ることではなく、窓をひらくこと。
その窓から他者や世界を見直すとき、読書は孤独を倫理へと変換する。
結び
村上春樹の文学を「ズレ」と「沈黙」という視点から読むとき、それは孤独と倫理の問題系に直結する。
孤独は断絶ではなく、他者へ開かれた窓である――この逆説を読み取ることが、村上文学を読む最大の意義だろう。
読書日記アプローチにおいて、第2部の入口に村上春樹を置くのは必然だ。
孤独をズラし、沈黙を抱え込む読書が、文学の核心をひらいていく。
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