読書ブログ|空虚を読む――ホンすけの100万冊日記
読書ブログという形をとりながら、私自身の思索と読書体験を交差させてみたいと思います。
第2部「文学と孤独の読書」の一篇。
ここでは、私が創作した人物「ホンすけ」を通じて、
「読書の空虚」と「数量化された知識の無意味さ」を考えてみたい。
ホンすけという人物
ホンすけは年間100万冊を読む男だ。
といっても、読む本は内容の薄っぺらい自己啓発書や要約書ばかり。
彼の読書は量的記録の積み重ねであり、
そこには「経験」や「内面的変容」がほとんど存在しない。
彼の読書は空虚でありながら、どこか現代の風刺に映る。
量的読書文化の病
ホンすけの姿は、SNSにあふれる「読了数マウント」や
速読術の誇示と重なって見える。
- どれだけ多く読んだか。
- どれだけ速く読んだか。
- どれだけ要約できたか。
しかしそこに「読書の厚み」はどこまで宿っているのか。
数は空虚を覆い隠すが、意味を与えることはできない。
空虚を読むという逆説
興味深いのは、ホンすけの空虚な読書すら、
私たちが「読む」対象になりうるという点だ。
空虚を読むことは、
自分の読書の厚みを見直す鏡になる。
虚無的な積み重ねのなかで、
逆説的に「読書の倫理」が浮かび上がる。
梟コメント
ホンすけは笑い話であり、同時に警鐘でもある。
私たちも気づかぬうちに「ホンすけ的読書」をしていないか?
- 本を「消費」するだけになっていないか。
- 本を「記録」することに目的を置いていないか。
- 本を「空虚の積み重ね」にしていないか。
読書は数値では測れない営みだ。
空虚を読むことを通じて、その事実が鮮やかに浮かび上がる。
結び
『ホンすけの100万冊日記』は、
淡々と空虚を積み上げる読書の寓話である。
しかしその空虚こそ、現代の私たちが直面すべき課題を照らし出す。
空虚を読むことは、読書の倫理を問い直すことである。
この記事もまた、読書梟の読書ブログの一ページとして積み重なっていきます。
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