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読書ブログ|言葉の円環、意味の跳躍をめぐって

本を読むこと、そして書き残すこと――それを読書ブログとして続けているのが「読書梟」です。

本記事は「読書ブログシリーズ」第1部・孤独と倫理の読書の一編である。
ここでは『言葉の円環、意味の跳躍』という思索的エッセイ(拙稿)を手がかりに、読書日記アプローチの核心に迫る。


言葉の円環とは

言葉は私たちを世界へと開くと同時に、言葉そのものの輪の中に閉じ込める。
定義は定義を呼び、説明は別の説明を必要とする。
この自己循環性を「言葉の円環」と呼ぼう。

だが、その円環は閉鎖ではない。
むしろ円環の内部にこそ、新しい意味への出発点が潜んでいる。


意味の跳躍とは

円環のただ中で、言葉はときに思いがけず跳躍する。
予期せぬ比喩、文脈の転換、あるいは読者の内面での再解釈。

「意味は円環の中で静かに醸成され、ある瞬間に跳躍する」

その跳躍こそが、読書の醍醐味であり、倫理的な覚醒につながる。


読書日記アプローチとの関係

読書日記をつけることは、円環に線を引く試みである。
言葉の連鎖を追いかけつつ、その中でどの瞬間に跳躍が生じたかを記録する。

問いの痕跡を残すことは、跳躍の証拠を刻むことでもある。
読書日記とは、円環と跳躍の両方を受け止める装置なのだ。


梟コメント

円環を閉じることはできない。
跳躍を完全に制御することもできない。
しかし、その不可能性を抱え込む営みが読書である。

言葉は巡り、意味は飛ぶ。
そのリズムを愛することが、読書人の倫理である。


結び

「言葉の円環、意味の跳躍」という視点は、読書を単なる理解や要約にとどめない。
言葉の自己循環を見つめつつ、跳躍を待ち受ける態度こそ、読書日記アプローチの核心に近い。

📚 読書ブログシリーズ全目次はこちら

こうして書き残すことは、私にとって読書ブログを続ける意味そのものです。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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