読書ブログ|読書と孤独の倫理学
この読書ブログ「読書梟」では、日々の読書を通じて考えたことを記録しています。
人はなぜ孤独のうちに本を読むのか。
それは知識を得るためだけでなく、沈黙の中で「他者の声」を引き受けるためだ。
読書とは、孤独の技法であり、同時に孤独を引き受ける倫理でもある。
孤独と読書
- 読書は本来、ひとりきりの行為である。
- 誰にも見られず、誰にも制御されない。
- そこでは、自己とテキストが一対一で向き合う。
孤独は欠如ではなく、読書が成立するための条件なのだ。
孤独の倫理
孤独は「他者を排する」ことではない。
むしろ孤独だからこそ、著者の声に開かれる。
- 他者の言葉を真剣に受け取ること。
- 読解を独占せず、共有可能な形で記すこと。
- 沈黙の中で自己の偏見を見つめること。
これらは孤独のうちにしか生まれない倫理である。
読書日記アプローチから見る孤独
「読書日記アプローチ」とは、孤独に読んだ痕跡を他者に手渡す営みでもある。
- 孤独に沈潜する。
- その痕跡を言葉に残す。
- さらに他者に開く。
孤独を引き受けつつ、そこから橋を架けることが、このアプローチの中核にある。
梟コメント
孤独はしばしば「寂しさ」と同一視される。
しかし読書の孤独は、他者に触れる前提であり、豊かさの源泉だ。
孤独は責任を孕む。
誰も見ていないからこそ、どう読むかが問われるのだ。
結び
読書と孤独は切り離せない。
孤独のなかで、私たちは他者の声に耳を澄ませ、応答の仕方を学ぶ。
読書とは孤独を通して成立する倫理学である。
そして孤独を引き受けることこそが、読書の誠実さにつながっていく。
■株式会社講談社
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読書ブログを通じて浮かび上がる小さな思索の断片を、これからも綴っていきたいと思います。
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