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読書ブログ|間主観性の風景を読む

この読書ブログ「読書梟」では、日々の読書を通じて考えたことを記録しています。

本記事は「読書ブログシリーズ」第1部・哲学と思想を読むの一編である。
ここでは「間主観性」という哲学的キーワードを、読書の営みの風景として読み解いてみたい。


間主観性とは

「間主観性」とは、他者と私が出会い、意味を共有する場を指す。
それは単なる「共通理解」ではない。
むしろ相違やズレを抱えつつも、互いに世界を開き合う出来事である。

読書は、著者と読者のあいだで生じる間主観性の場である。
時代や文化を超えた対話が、本のページを媒介に立ち上がる。


読書の風景としての間主観性

読書を「風景」として見るなら、それは孤独な机上では完結しない。
注釈・引用・書き込み・会話——それらが織り重なって、読書の場は他者に開かれていく。

「風景とは、個の視点と共同のまなざしが交錯する場所である」

本を読むことは、風景の一部を共有する行為でもある。


読書日記アプローチとの関係

読書日記は、孤独な痕跡であると同時に、他者への橋でもある。
問いや引用が日記に刻まれるとき、それはすでに公共的な呼びかけを含んでいる。

間主観性の風景を記録すること。
それが、読書日記アプローチを社会的文脈へと開いていく。


梟コメント

孤独の読書は、すでに他者の声で満ちている。
そして他者と語るとき、私たちは自分自身の読書の痕跡を見直す。
その往復こそが間主観性の風景だ。


結び

読書は「私」と「他者」をつなぐ場であり、風景である。
間主観性を意識することで、読書は倫理的な営みへと深まる。

■株式会社筑摩書房

公式HP:https://www.chikumashobo.co.jp/

公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/ChikumaShinsho?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor

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こうして書き残すことは、私にとって読書ブログを続ける意味そのものです。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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