×

H2タグは章題、H3は小節。だがそこに血肉はあるのか?

この読書ブログ「読書梟」では、日々の読書を通じて考えたことを記録しています。

SEOの世界では「H2は章題、H3は小節」というルールが、あたかも絶対的な形式であるかのように語られる。まるで書物の構造を模倣することで、記事に論理性と整合性が宿ると信じ込んでいるかのようだ。

だが、ここで問いを立てたい。その形式に血肉はあるのか?

単にH2を並べ、H3を埋めれば文章は「章と小節」を備えるだろう。しかし、それはただの骨組みにすぎない。そこに息吹を与えるのは、著者自身の体験・思想・逡巡であるはずだ。SEOが推奨する「構造化」は、しばしば**「形式」だけを模倣する亡霊の作法**に堕してしまう。

読書日記アプローチの旗印として

ここで私が唱えたいのが「読書日記アプローチ」である。読書とは、ただ本の要約を整理することではない。読んだ本をきっかけに、自らの記憶や思索、現代社会へのまなざしが呼び覚まされる営みだ。H2やH3といった形式的な骨格は、その血肉を受け止める器であって、器そのものに価値があるのではない。

SEOの教科書が示す「形式の正しさ」に盲従するのではなく、その形式を批評的にずらし、血を通わせる。これこそが読書日記アプローチの旗印であり、SEOという制度の隙間に倫理と表現を差し込む試みである。

   

※この記事は「SEOそのものを批評するブログ」という立場から書かれています。検索順位やクリック率よりも、表現と倫理の探究にこそ血肉がある——その姿勢を忘れぬための備忘でもあるのです。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2025/08/17/%e5%93%b2%e5%ad%a6%e3%83%bb%e6%96%87%e5%ad%a6%e3%83%bb%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%83%bb%e5%ae%9f%e8%b7%b5%e3%83%bb%e3%83%a6%e3%83%bc%e3%83%a2%e3%82%a2%e3%82%92%e6%a8%aa%e6%96%ad%e3%81%99%e3%82%8b%e8%aa%ad/
この記事もまた、読書梟の読書ブログの一ページとして積み重なっていきます。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

コメントを送信

科学を読む