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はてなブログのバイアス――断章集

この読書ブログ「読書梟」では、日々の読書を通じて考えたことを記録しています。

I. 働き方ジャンルの矛盾

  1. ITは正義だ。 ――しかし、その正義は検索結果の上位にしか宿らない。まるで“正義”がクリック可能な商品であるかのように。
  2. 働き方は多様だ。 ――しかし、はてなのアルゴリズムは単調である。選択肢の背後にある構造は、既に答えを限定している。
  3. テクノロジーは自由を拓く。 ――しかし、それは新たな拘束の形式にすぎない。自由の名で拘束すること、それこそが近代のアイロニーだ。
  4. ジャンルは公平だ。 ――しかし、その公平は統計的偏りを覆い隠すだけだ。数字は冷酷にして従順な神話。
  5. 記事は声を届ける。 ――しかし、その声はIT的言説の合唱にかき消される。沈黙もまた声を持つのに。

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III. アイロニーの積層

  1. ブログは民主的だ。 ――しかし、その民主主義はPVという貨幣に従属している。貨幣が言論を買収するのは市場の必然だ。
  2. 書き手は自由だ。 ――しかし、その自由はトレンド欄に鎖でつながれている。見えざる拘束は、しばしば最も重い。
  3. 読者は選べる。 ――しかし、選択肢はすでに整列されている。選ぶ自由は、あらかじめ調律された旋律にすぎない。
  4. プラットフォームは中立だ。 ――しかし、中立は一方に傾いた仮面をかぶっている。仮面は時に素顔より雄弁である。
  5. ジャンルは開かれている。 ――しかし、開かれた門の先にはIT企業の看板が立っている。出迎えるのは自由ではなく規範。

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V. 反転のリズムを刻む

  1. バイアスは小さい。 ――しかし、小さい歪みは全体を傾ける。アドルノが言ったように、傷は全体の中でしか理解されない。
  2. ランキングは透明だ。 ――しかし、その透明はアルゴリズムの影を映さない。不可視こそ最大の暴力である。
  3. 記事は対話する。 ――しかし、その対話は一枚のトップ画面に収束していく。声は多様に見えて一方向に収斂する。
  4. はてなは多様性を尊重する。 ――しかし、その多様性は“IT的多様性”に限られている。形式に回収された多様性は、多様性ではない。
  5. 読書は余白を与える。 ――しかし、余白は「効率化」の名のもとに切り取られる。余白を失ったとき、思考は息苦しくなる。

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VII. 批評と風刺の往復

  1. ITは革新をもたらす。 ――しかし、その革新は他の働き方を廃墟にする。廃墟は未来の影でもある。
  2. 効率は善だ。 ――しかし、その善は人間を過剰に計算する。人間は数式に還元されない。
  3. 情報は解放する。 ――しかし、解放は束縛の別名である。解放の檻ほど巧妙なものはない。
  4. ジャンルは窓だ。 ――しかし、その窓は一方向にしか開かない。眺望は既に選択されている。
  5. 働き方は物語だ。 ――しかし、その物語はIT資本の脚本に沿っている。物語を奪うことは、生の意味を奪うことだ。

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ただし、それは“働き方”ジャンルに標準搭載されている仕様です。


IX. 暮らしジャンルに潜む“見えない偏り”

  1. 暮らしは日常だ。 ――しかし、その日常は「消費スタイル」として規定される。日常さえ市場に供される。
  2. 料理は生活を彩る。 ――しかし、その彩りはスポンサーリンクの配色に従っている。美味は美学に従属する。
  3. インテリアは自由だ。 ――しかし、その自由は「映える」規範の中に縛られる。装飾が自由を侵食する。
  4. 暮らし記事は素朴だ。 ――しかし、その素朴は広告的演出で調味されている。素朴さの演出ほど洗練された欺瞞はない。
  5. ジャンルは素顔を見せる。 ――しかし、その素顔はアルゴリズムに施された化粧である。素顔は最初から舞台化されている。

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XI. 教育ジャンルに潜む“見えない正しさ”

  1. 教育は中立だ。 ――しかし、その中立は国家的規範に根ざしている。中立という正しさはすでに偏っている。
  2. 学びは自由だ。 ――しかし、その自由はカリキュラムによって枠取られている。自由の形式化は、自由の否定に近い。
  3. 試験は公正だ。 ――しかし、その公正は測定可能な部分だけを切り取る。不可測なものを切り捨てる公正は暴力である。
  4. 教師は導く。 ――しかし、その導きは制度の地図に従属する。道は既に正しいと印されている。
  5. 教育記事は正しい。 ――しかし、その正しさは一元的な価値観の押しつけである。正しさが一つしかない時、思考は痩せ細る。

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結びの断章

  1. ブログは日記だ。 ――しかし、その日記はアルゴリズムに検閲される。書かれた瞬間からシステムに所有される。
  2. 批評は個人的だ。 ――しかし、個はシステムに回収される。批評が生きるのは抵抗としてだけ。
  3. 風刺は小さい声だ。 ――しかし、小声は時に大声より響く。沈黙の余白からこそ声は立ち上がる。
読書ブログを通じて浮かび上がる小さな思索の断片を、これからも綴っていきたいと思います。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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