志望理由対策(笑)──ライフキャリアデザイナー批判と不安産業の正体
志望理由対策(笑)。
この言葉を見かけるたびに、胃の中から熱いものがこみ上げてくる。なぜなら、それは「不安産業」の最たる看板だからだ。志望理由も自力で書けない人間に、いったい何を描けというのか? だが、その不安にすかさず寄り添い、もっともらしいアドバイスを装いながら、金銭を吸い上げるのが「ライフキャリアデザイナー」とかいう輩のビジネスモデルである。宗教じみた美辞麗句を並べ、あなたの未来を“デザイン”してあげましょう──そう囁きながら、財布の中身だけはしっかりデザインしてくる。笑えない、いや笑うしかない現実。それが「志望理由対策(笑)」なのである。
問題提起:なぜ「志望理由対策(笑)」が蔓延するのか
私たちは、学校教育や社会の中で「自分の言葉で語る力」を鍛えられてこなかった。だからこそ、不安を埋め合わせてくれる誰かの言葉にすがりつく。そこに入り込むのが、この“キャリアデザイナー”なる人々だ。彼らは「あなたの夢を言語化してあげます」と耳ざわりのいい約束を口にするが、実際に与えるのは量産されたテンプレートにすぎない。志望理由を“対策”と呼ぶこと自体が、本質を取り違えている証拠だ。
構造暴露:不安を餌にするビジネスモデル
ビジネスの核心はシンプルだ。不安を煽る→依存させる→金を払わせる。この三段跳びにすべてが集約されている。しかも、それは本人の成長を妨げる形でしか成立しない。なぜなら、もし本当に自分で考えられるようになってしまえば、もはや“顧客”ではなくなってしまうからだ。ここに教育とビジネスの決定的な矛盾が潜んでいる。
私はこれまで読書日記の中で、制度や形式と倫理のズレを繰り返し指摘してきた。ここでも同じだ。キャリア支援を名乗りながら、実際には制度化されない誠意を食い物にする構造がある。それは教育でも支援でもなく、ただの消費である。
さらに具体的に言えば、こうした「キャリアデザイン商法」には典型的な詐欺的特徴がある。高額のセミナー代金や“資格取得コース”を提示し、支払った瞬間に「あなたもプロのデザイナーになれる」と錯覚させる。だがその実態は、学術的裏付けも職業倫理もない「肩書きごっこ」にすぎない。挙げ句の果てには「このままでは就職に失敗する」と恐怖を煽り、解決策として追加の講座や面談を売り込む。これはまさに不安をビジネスに変換する錬金術であり、顧客はいつまで経っても“自分の言葉”を取り戻せないまま依存させられていく。
そして何より重大なのは、こうした商売が社会的にほとんど意義を持たないということだ。若者や転職希望者にとって、本当に必要なのは制度的に裏付けられた支援や、経験に基づく誠実な助言である。しかし「キャリアデザイナー」の仕事はそれを提供せず、ただ不安を使い回して金を引き出すだけ。つまり、彼らに払う金は未来への投資ではなく、池に硬貨を投げ入れて波紋を見ているようなものだ。残るのは虚しさと空っぽの財布だけであり、社会に還元される価値はほとんど存在しない。
学術的な補強:不安産業をめぐる批判的視点
こうした構造はすでに多くの思想家や研究者が批判してきた。たとえばイヴァン・イリイチは『脱学校の社会』の中でこう述べる。「学校は、社会を通じて人々の生涯を消費者に仕立て上げる最大の道具である」(イリイチ 1971/1985, p. 47)。教育と市場の癒着が人々を依存へと追い込み、本来の学びを奪っていくことを痛烈に指摘している。
また、現代日本の社会学においても、岸政彦は『断片的なものの社会学』の中で「弱さや不安は、資本主義において最も容易に換金される資源である」(岸 2015, p. 122)と語っている。日常生活の細部に潜む「商品化される不安」の実態を丁寧に描き出すことで、弱者の声がどのように市場に回収されていくかを明らかにしている。
これらの批判は共通して、不安が資本主義の燃料として利用される仕組みを暴き出している。つまり「志望理由対策(笑)」は単なる悪徳サービスではなく、社会全体の不安産業構造の一部にすぎない。その意味で、私たちが怒るべき対象は一人のキャリアデザイナーではなく、不安を商品化する社会システムそのものなのだ。
参考文献
- イヴァン・イリイチ『脱学校の社会』桜井直文ほか訳、東京創元社、1985年(原著1971年)
- 岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社、2015年
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