SNSの部族化──ルーマン的社会システム論からの批判
・インフルエンサー研究12を掘り下げ
序章:ぐさりと刺さる瞬間
「断言しますが」「知らないと損します」といったフレーズが繰り返されるとき、私たちは単に扇動されているのではなく、ある種のコミュニケーションの回路に組み込まれている。SNSは過去の反応をもとに好みを強化配信し、同質の相互作用を反復的に生成する。ここでは、ニクラス・ルーマンの社会システム論(オートポイエーシス、自己参照、システム/環境)を道具に、この「部族化」を批判的に読み解く。
ルーマンのフレームワーク(簡潔)
ルーマンにとって「社会」は人間の集合ではなく、コミュニケーションのシステムである。社会システムは自己言及的にコミュニケーションを再生産し、外部(環境)との境界を持つ。各サブシステム(経済、政治、法、科学など)は独自のコードで機能的に分化する。ここで重要なのは「選択の連鎖」としてのコミュニケーション――システムは意味的に複雑さを減らすために選択を行う、という視点である。
SNSをシステムとして読み替える
SNSは、ルーマン的には新たなコミュニケーション技術(あるいは技術化されたコミュニケーション・システム)であり、その内部には固有の『コード』が形成される。いいね/シェア/コメントといった行為は単純な二項コード(受容/拒否、拡散/留保)を生み、これがオートポイエーシス的に自己増幅する。アルゴリズムは選択を自動化し、構造的に同質性を強化する**構造的結合(structural coupling)**として作用する。
自己参照とエコーチェンバー
SNSは自己参照を加速する機構だ。過去の反応が未来の可視性を決めるため、ある発話が反応を生むと、それと相性の良い発話だけが選択され続ける。結果、同じ語彙、同じフレーズ、同じ修辞(「断言」「警告」「専門語」)が日々反復され、部族語が形成される。これはまさにルーマンの言う「システムの閉鎖」と類似する現象であり、外部からの情報(環境)を受け入れにくい構造を作る。
コードの単純化と意味の偏向
機能的分化の観点から見ると、SNSは他の社会サブシステムとの間で奇妙な入り交じりを見せる。政治的コミュニケーションが感情的な『いいね』コードへ還元され、経済的利益が拡散可能性によって測量される。言い換えれば、複雑な意味がアルゴリズムの簡便な指標(クリック数、滞在時間)へと還元され、意味の偏向が発生する。ここに「ポスト真実」や「感情のエコロジー」が生じ、公共圏の質が低下する。
SNSにおける二重の問題点
- 自己増殖する均質化:システムが自己参照によって同種のコミュニケーションを選択し続けることで、ネットワーク内の多様性は構造的に減少する。これがいわゆるフィルターバブル、エコーチェンバーである。
- 機能横断的な歪み:政治的判断や科学的検証が、拡散可能性と同一視されることで、各サブシステムの独立性(機能分化)が損なわれる。法・科学・政治の正当化コードが薄まり、代わりに「感情」や「共感」が通貨になる。
ルーマンが提示する批判の含意
ルーマンは、社会システムの自律性と複雑性の管理を重視した。SNSは一見、コミュニケーションの民主化をもたらしたが、ルーマン的には「自律的コミュニケーションの歪み」を招いたと批判できる。つまり、プラットフォーム上のコミュニケーションはオートポイエーシスを達成しているが、その選択基準(アルゴリズム)によって社会全体の複雑性低減プロセスが偏向している。
社会的信頼と二重束縛
さらなる問題は信頼の枯渇だ。信頼は異なるサブシステム間の媒介を容易にする。だがSNSのような選別化されたコミュニケーション環境は、異質への懐疑を強め、情報の正当性を可視的な反応数で測る傾向を助長する。これが「二重束縛」(誤った期待とプレッシャー)を生み、発信者と受信者双方に歪んだ選択圧をかける。
実例的観察:言葉の仕掛けと部族化のプロセス
「断言しますが」というフレーズは認知的負荷を下げ、受け手を即時的選択へ誘導する。ルーマン的表現で言えば、それはコミュニケーションの簡便化装置になり、システム内の選択の連鎖を滑らかにする。同様に、専門用語の反復はコミュニティのアイデンティティ・バッジとなり、境界を強化する。こうした修辞は単なる言語トリックではなく、システム内部での選択基準そのものを形作る。
技術と制度の相互作用:構造的結合の観点から
アルゴリズム設計は技術的選択であると同時に制度的選択でもある。企業の収益モデル、広告市場の論理、法規制の未整備さが相互に絡み合い、SNSというコミュニケーション・システムのコードに影響を与える。これはルーマンのいう構造的結合が複数の社会システムを横断して作用している好例であり、問題解決は単なる個人のリテラシー向上だけでは不十分だと示唆する。
対策の示唆(ルーマン的含意を踏まえて)
- 選択過程への介入:アルゴリズムはブラックボックス化されがちだが、選択基準の透明性と外部からの構造的介入(独立した監査や多様な評価軸の導入)が必要だ。
- 摩擦の再導入:情報流通に適度な摩擦を設け、即時的な反応に依存しない選択を促す(例:シェア前のリフレクション促進や遅延シェア機能)。
- 機能分化の回復:政治的・科学的コミュニケーションは、それぞれの正当化コード(論理、エビデンス、手続き)を取り戻すためのインセンティブ設計が必要だ。
- 社会的雑音への耐性強化:教育と制度を通じて、多様な情報ソースに接する構造を支援する(公共メディアの強化、メディア・リテラシー教育の制度化)。
問題点と限界:ルーマン観点からの自己反省
ルーマン理論自体も万能ではない。システム理論は構造と選択に注目するあまり、主体的な倫理的判断や個々人の責任感を軽視しがちだ。したがって、SNS批判にルーマンを適用する際は、個人のアクター性や倫理的訴求(エティカ)との折衷を図る必要がある。制度設計はシステムの複雑性を尊重しつつ、個人と集合の双方を見据える介入を要する。
結論:部族化をどう可塑化するか
SNSが作る“部族的共感空間”は、ルーマン的には自己言及的なコミュニケーションの自然な帰結の一つである。しかしその帰結が公共圏や機能分化を損なうとき、私たちは選択過程(アルゴリズム、制度、教育)を再設計しなければならない。重要なのは、単に“多様性”をスローガン化するのではなく、システムの選択ロジックに働きかける具体的な制度と技術の改編である。
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