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文芸は論文を斬れない -それでも斬ろうとするK氏-

ここは小さな読書ブログですが、ページをめくるたびに世界の見え方が変わる瞬間を残しています。

  

1. 論文と文芸はそもそも土俵が違う

項目論文文芸(批評・エッセイ)
目的新しい知見や理論の提示感覚や思想の表現・共有
規範検証性・再現性・論理の一貫性独自性・比喩・文体
評価軸査読・学術共同体の合意読者・批評界・市場

結論
文芸は論文の「論理空間」には直接介入できません。
批評は批評、研究は研究というルールセットが根本的に異なるからです。


2. それでも「斬ろう」とする理由

(1) 読者への「通訳」

論文の難解さに疲弊した読者に、平易で直感的な批評を届ける。
K氏が好んでやるのは、まさにこの「翻訳装置」としての役割です。


(2) 学術権威へのカウンター

「遅く、難しく、閉じている」論文に対して、
「速く、わかりやすく、開かれている」文芸で対抗する。
これは象徴的な権威批判として機能します。


(3) 議論の公共化

文芸的な語りは、論文の専門領域から読者を引っ張り出し、
議論を公共圏で再活性化させる力があります。


3. 文芸による斬撃の「限界」

(a) 精度の欠如

文芸的表現では、論文が持つ緻密な論理構造や証拠性を正確に扱いきれない。
その結果、過度な一般化レッテル貼りに陥りやすい。


(b) 批評の循環

結局「速さ」と「平易さ」というポジショントークの領域に閉じる。
学術的な深度を拒否しながら、学術的な領域を語るという二重性は否めません。


(c) 不均衡な立場

論文は精密なロジックで応答できるが、
文芸的批評は直感や比喩で対抗するしかない。
この非対称性が、しばしば論争を空転させます。


4. ポジショントークとしての機能

ポジショントークの構造

  • 文芸側:「分かりやすさ」「読者目線」「現場感」を強調
  • 論文側:「精緻さ」「方法論」「再現性」を重視

文芸批評家が論文を斬るとき、その本質は市場での立場表明です。

  • 文芸批評は「速度と感覚」を武器に「遅さと論理」を切る
  • しかしそれは**市場における位置取り(ポジション)**であって、論文を真正面から覆す行為ではない。

5. 意義を見出すなら

それでも意義があるとすれば、それは**「橋渡し」**です。

  • 専門的な論文を、公共圏で語るための素材にする
  • 批判を通じて、論文側に「伝える工夫」を促す
  • 文芸的語りを経由して、新しい関心層を研究に導く

この意味で、「論文を斬る文芸」=論文を再び読ませるための呼び水だと言えます。


6. まとめ

  • 論文と文芸は土俵が違うので、完全には「斬れない」
  • それでも「速さ」「平易さ」で対抗するのは、権威への抵抗と公共化という意図がある
  • ただしそれは、多くの場合ポジショントークであり、
    真に議論を深めるには相互翻訳の努力が必要

この視点で読むと、K氏の批評は「学術破壊」ではなく、むしろ学術と公共圏の仲介者として再評価できるのではないでしょうか。

こうして書き残すことは、私にとって読書ブログを続ける意味そのものです。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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