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日記
文学の価値とは。ケヴィン・ケリーにとって文学とは何か。
ケヴィン・ケリーにとっての文学の定義と、文学が持つ価値について、ソースの情報に基づいて包括的にご説明します。
ケヴィン・ケリーにとっての文学とは何か
ケヴィン・ケリーは「技術」という言葉を非常に広範に定義しており、文学を含む人間の創造物全般を技術(テクニウム)の一部として捉えています。
1. 技術としての文学(テクニウム)
◦ 彼の見解によれば、私たちの頭脳から生まれたものはすべて技術です。文章、絵画、音楽はすべて技術であり、図書館も技術に含まれます。
◦ シェークスピアのソネットやバッハのフーガは、原子爆弾やウォークマンと同じ枠組みに入れられます。なぜなら、それらはすべて人間の想像力による作品であり、厳密な意味で技術によるものであるからです。
◦ 1,000行の英語の文字(例:ハムレット)は技術であり、1,000行のHTMLページのコードと同じです。J.R.R.トールキンの原作小説における文字による表現も、空想的な生物や風景のデジタル表現も、いずれも技術によるものです。
◦ 文学、法律といった洗練された法体系もまた、計算機の中ではなく紙の上で実行される「ソフトウエアの一種」であり、人間の思想の表明であるため技術です。
◦ したがって、ケリーにとって文学とは、人間が創造した思考や思想の表現形態であり、文明(テクニウム)を構成する不可欠な要素の一つであると言えます。
文学の価値とは何か
ケリーの議論において、文学(および広義の創作活動)の価値は、デジタル経済におけるコピーの豊富さという文脈、および人間性の拡張という広範な役割を通じて論じられています。
1. デジタル時代における価値:「生成力」
インターネット上でコピーが容易であり、デジタルコピーが最終的に無料になる世界において、価値はコピーできないものに移行します。文学作品がデジタルで無料になっても、著述家(作家)が売ることができる価値として、ケリーは**「生成力」**と呼ぶ8つのカテゴリーを提示しています。
• 即時性(Immediacy):ファンは、作品が発表された瞬間に手元にコピーが届くこと(あるいはベータ版が入手できること)に対して対価を払います。これはハードカバーの本の「即時性」にプレミアが付くことと同様です。
• 個人化(Personalization):無料のコピーの代わりに、読者の読書歴に応じて出版社が個別に編集してくれるバージョンなど、個人に合わせた調整に価値が生まれます。
• 解釈(Interpretation):コードのコピー自体は無料でも、それが何を意味するか、どのように使うかといった解釈やマニュアルは高価になります。これは将来的に遺伝情報などについても当てはまるとされています。
• 信憑性(Authenticity):作品が確かに作者自身による本物であることを保証する信憑性に対してお金が払われます。
• 具体化(Embodiment):デジタルコピーは実体がないため、消費者はそれを高解像度の巨大画面で見たい、あるいは白い綿のような紙に印刷され革で製本されたものとして読みたいという要望を持ちます。本が無料であっても、生の講演は高価であるという公式が著述家にも当てはまりつつあります。
• 後援(Patronage):ファンは、支払いが容易で手頃であり、かつそのお金が創作者に直接恩恵を与えると信じられる場合、評価のしるしとして創作者(芸術家、著述家)にご褒美をあげたいと思っています。これはファンと芸術家との間のつながりを生みます。
• 見つけやすいこと(Findability):作品が見られない限り価値がないデジタル世界において、何百万冊もの無料の本の中から価値あるものを見つけ出せるというサービスに価値が生まれます。
2. 創作者の生存を支える価値:「千人の忠実なファン」
著述家を含む創作者は、大ヒットを狙うのではなく、「千人の忠実なファン」と直接つながることで生計を立てることができます。
• 忠実なファンは、その創作者が創作したものを何でもかんでも購入し、作品の独自性に価値を見出す熱心な支持者です。
• ロングテールの底辺から脱却するためには、ヒット作は必要なく、この熱狂的なファンの小さな輪の支援が、創作者が本物のままでいられる基盤となります。
3. 非経済的価値:「愛のロングテール」
ロングテール現象において、市場は経済的な利益(ドル価値)が極めて低いニッチな創作物であふれますが、この領域は別の種類の価値によって成り立っています。
• ロングテールが広がるにつれて、創作者にとって利益を得ることは困難になりますが、それは情熱、熱意、執念、好奇心、仲間意識、愛、そして贈与経済の領域となります。
• この領域の価値は、精神的なエネルギー、励まし、人生の意義、生きる理由など、ドルで動くのではない経済であり、「愛というドラゴン」のロングテールであると表現されています。
4. 人間性・文明の拡張としての価値
文学(書くこと、法律の制定など、広義の技術)は、人間社会に長期的な利益をもたらすと考えられています。
• 技術は思考の一形態であり、技術という思想の表明は人間を向上させるものとなり得ます。
• 筆記や印刷といった技術は、私たちの文化を形成し、過去の歴史から見れば私たち人間を向上させてきました。
• 技術(文学を含む)からの贈り物は、可能性、機会、思考の多様性です。文学の技術は、人類が心や魂を表現する別の方法、真実を見極める別の方法を提供します。
• 字を書くことや法律を制定することなどの「柔らかい技術」は、人間が良いものを作ったり、良いことをしたりするための潜在能力を拡大しました。技術を強化することは、私たちが選択肢を増やし、みんながスターになる(独自の貢献を最大限にできる)機会を広げる道徳的義務であるとされます。
人間社会に長期的な利益をもたらすと考えられていますとはいえ、この説明では価値について具体的な言及が全くみられません。
ご指摘の通り、前回の説明で「人間社会に長期的な利益をもたらす」という表現は抽象的でした。ケヴィン・ケリーは、文学を含む広義の技術(テクニウム)がもたらす長期的な価値や利益について、特にデジタル時代や文明の進化という文脈で非常に具体的に論じています。
ケリーが示す、文学および技術全般が人間社会にもたらす具体的な長期的な価値は、主に以下の3つのカテゴリーに分類されます。
1. 人間性・文明の拡張としての価値(非物質的・長期的な利益)
ケリーは、文章や法律といった人間の創造物すべてを「技術(テクニウム)」と捉え、それらが人間を向上させ、文明を豊かにする主要な源であると主張します。
• 可能性、機会、思考の多様性の提供:技術からの贈りものは、**「可能性、機会、思考の多様性」**です。一つ一つの発明(新しい道具、素材、媒体)は、別の人生の視点、別の選択、別のあり方をもたらします。
• 心や魂の表現手段の拡大:新しい道具や媒体は、人類が心や魂を表現する別の方法、真実を見極める別の方法を提供します。文学(書くこと)のような「柔らかい技術」は、人間が良いものを作ったり良いことをしたりするための潜在能力を拡大しました。
• 人間の向上の実現:筆記や印刷といった技術は、過去の歴史から見れば私たち人間を向上させてきました。ケリーは、文明(テクニウム)は選択肢を生み出すため、人間の向上に必要であると断言しています。
• 道徳的義務としての価値:技術を強化し、その種類や範囲を拡大することは、選択肢を増やし、すべての人(スター)が独自の貢献を最大限にできる機会を広げる**「道徳的義務」**であるとされています。
• 無知の拡大:知識の増大は道具や技術によってもたらされますが、その真の価値は、答えよりも早く疑問が増加すること、すなわち、**「無知を拡大する」**ことにあります。この疑問の拡大こそが、科学(進歩)が尽きることなく続くための長期的な基盤となります。
2. デジタル時代における「生成力」としての具体的な価値
デジタルコピーが無料で大量に存在する世界において、コピーできない性質を持つものに価値が生まれます。ケリーはこれを「生成力」と呼び、著述家(文学の創作者)が生計を立てるための具体的な価値として提示しています。
生成力のある価値は、発生させ、成長させ、培養し、育成しなければならない性質または特性であり、無料のコピーに付加価値を与えるものです。
デジタルコンテンツ(文学作品も含む)が無料であっても、消費者が対価を支払う具体的な価値として、以下のカテゴリーが挙げられています。
生成力 (Generative Force) | 具体的な価値の内容 | 該当ソース |
即時性 (Immediacy) | 作品が発表された瞬間に手元に届くこと(例:ハードカバーのプレミア、ベータ版の入手) | |
個人化 (Personalization) | 読者の読書歴などに応じて作品が個別に編集されること、または消費者と創作者との間の継続的な対話によって結びついた関係性。 | |
解釈 (Interpretation) | 作品(コード、情報など)が何を意味するか、どのように使うかといった、有料のサポートやマニュアルの提供。 | |
信憑性 (Authenticity) | 作品が作者自身による本物であることを保証すること(例:署名、デジタル透かしによる真正性の提供)。 | |
具体化 (Embodiment) | デジタルコピーにはない、物理的な体験や形態(例:革で製本された本、高解像度の巨大画面での視聴、生の講演や演奏)。本が無料であっても、生の講演は高価であるという公式が著述家にも当てはまるとされています。 | |
後援 (Patronage) | 評価のしるしとして創作者に直接ご褒美をあげること。これはファンと芸術家との間のつながりを通じて価値を持つ。 | |
見つけやすいこと (Findability) | 何百万冊もの無料の本の中から価値あるものを見つけ出せるサービス。未発見の名作は無意味であり、見つけられることに価値が生まれます。 |
3. 経済的な利益を超えた価値(愛のロングテール)
ケリーはロングテール現象を分析し、経済的な利益(ドル価値)が極めて低いニッチな創作物であふれるテール部分が、別の種類の価値によって成り立っていることを指摘します。
• 情熱と贈与経済の領域:ロングテールは、情熱、熱意、執念、好奇心、仲間意識、愛、そして贈与経済の領域となります。
• 人生の意義の提供:この領域の価値は、金銭(ドル)で動くものではなく、精神的なエネルギー、励まし、人生の意義、生きる理由など、非経済的な報酬を通じて提供されます。
• 創作者の生存基盤:著述家を含む創作者は、大ヒットを目指すのではなく、直接つながる「千人の忠実なファン」によって生計を立てる基盤を確保できます。このファンは、創作者が本物のままでいる(作品の独自性に集中する)ことを可能にする、熱狂的な支持者です。
AIの文章と文学作品の文章にどんな差があるとケリーは考えますか
ケヴィン・ケリーは、AIによって生成された文章と、文学作品に見られる人間の文章との間に、主に創造のプロセス、根底にある知性の性質、そして生み出される価値の次元において、具体的な違いがあると考えています。
ケリーは「技術(テクニウム)」という言葉を非常に広く定義しており、シェークスピアの『ハムレット』の1,000行の文字を、HTMLページの1,000行のコードと同じく「技術によるもの」であると述べています。そのため、文学作品そのものも、人間の想像力による作品であり、厳密な意味での技術(テクニウム)の一部であるという前提があります。
しかし、AIの能力が人間の領域に浸食するにつれて、両者の間に生じる具体的な差異について、以下の点で考察しています。
1. AIの文章は「理論」や「理解」を欠いた相関に基づいている
ケリーは、Googleのような大規模なAIシステムが行う言語処理(スペルチェックや翻訳など)が、人間の文章生成や理解とは根本的に異なる原理に基づいていることを指摘しています。
• 相関分析による生成: Googleの翻訳プログラムは、言語の文法や理論といった**「理論」を理解することなく**、人間が翻訳した膨大な文書データを比較照合することによって翻訳を行います。そのシステムは「超大量のデータ」を使って「全体としてこれからあれへ」、つまりある言語から別の言語への関連を決定しているにすぎません。
• 理論と理解の欠如: Googleの研究所長が「あの中国語翻訳プログラムを作っている連中は、誰も中国語ができないんだ」と自慢したエピソードが示すように、AIは言語についての理論や概念の理解がないまま、超大量のデータによって「相関」を見つけ出し、文章や翻訳を生成しています。
• 「グーグル方式の科学」: この手法は「相関分析法」と呼ばれ、理論やモデルを立てなくても、十分なデータさえあれば、統計アルゴリズムが人間には見つけられないパターンを抽出し、予測を可能にします。AIによる文章生成も、この相関に基づく「解答」の提供に特化していると言えます。
2. 文学作品は「思考主義」では到達できない創造性を伴う
ケリーは、AIが人間よりも賢くなる瞬間にすべての問題が解決されるという「特異点」の考え方を批判し、これを「思考主義」と呼んでいます。これは、知能や思考だけで現実世界の複雑な問題が解決できるという誤った考え方です。
文学作品や芸術の創作は、単なる知能や計算では到達できません。
• 実世界との結びつき: 思考主義の欠点は、実用的な仮説を構築するためには、現実世界での大量の実験と、そこから得られる山ほどのデータが必要であり、思考だけで結果を得ることはありえない点です。文学作品が人間の感情、経験、文化といった実世界に深く根ざしている限り、純粋な思考(計算)のみに基づくAIの文章は、この深みに到達できない可能性があります。
• 人間性との関連: 人間が創造すると信じられてきた活動として、ケリーは**「芸術を創造する。小説、交響曲、映画を創作する」**といったものを挙げており、これらはまだチューリング化されていない(機械が人間に勝っていない、あるいは置き換えが難しい)領域として認識されています。
3. 生み出される価値の次元の違い:「解答」対「可能性」
両者の文章がもたらす価値についても違いがあります。
• AIの文章の価値(解答): AIによる巨大なデータ駆動のシステムは、私たちに**「解答」**を提示します。パブロ・ピカソの言葉を引用して、ケリーは「計算機の問題点は、解答だけを提示することだ」と述べており、完璧な良い解答がクラウド・コンピューティングの世界ではコモディティー化(ありふれたもの)するだろうと示唆しています。
• 文学の文章の価値(疑問と可能性): 文学を含む人間の創作活動の真価は、「良い質問を問いかける」「可能性、機会、思考の多様性」別の方法、真実を見極める別の方法を提供します。
したがって、AIの文章がどれほど完璧な「解答」を提供できたとしても、それは相関に基づくものであり、人間の文章が提供するような、新たな可能性や、知的な探求を促す新しい疑問、そして人間の心や魂の表現の多様性という価値の次元とは異なると、ケリーは考えていると言えます。
補足:技術による人間の文章の変化
なお、ケリーは、新しい技術(機械)が人間の文章のスタイル自体に影響を与える可能性についても言及しています。
• ニーチェがタイプライターを使い始めたとき、彼の文章は「議論から格言に、思想から語呂合わせに、美辞麗句から電報文に変わった」という指摘を紹介し、これはウェブが大量の短い文を生み出している現象と同様に、技術そのものが文章の形態や内容を変える力を持っていることを示唆しています。AIという技術も、人間の文章に何らかの機械的な視点や影響を強制する可能性はあります。