世界一大富豪だったあの企業のサブスク(〇〇プライム)だけが特別に悪いというより、あれは「サブスクを仕掛ける側の論理」がもっとも極端なかたちで表現された象徴の一つであるように思える。
一度登録した瞬間に課金が始まり、しかも退会への導線は意図的としか思えないほど複雑である。その体験を通じて、「ああ、自分は二度とここには入りたくないな」と心底うんざりした、という感情は決して珍しいものではないはずだ。
このモヤモヤを、可逆性功利主義というレンズで捉え直すとどう見えるのか。それが今回のテーマである。
サブスクを仕掛ける側と、解約を忘れる側
サブスクの構造は、シンプルに言えば「入口は広く、出口は狭く」である。
登録ボタンは大きく、目立つ場所に配置される。「今すぐ無料体験」「ワンクリックで開始」といったコピーが踊る。一方、解約ボタンはメニュー階層の奥深くに埋められ、いくつもの確認画面を経ないと辿り着けない。
ここには、明らかに非対称性がある。
サブスクを仕掛ける側は、「人は忘れる」「人は面倒を嫌う」という人間の性向を、利益設計の中心に据えている。試用期間が終わった瞬間に課金が始まる設計は、「本当に続けたい人」だけでなく、「解約を忘れた人」や「よく分からないまま放置した人」からも、等しく料金を徴収することを意味する。
このとき、契約の自由や自己責任だけを持ち出すのは、あまりにも片手落ちである。確かに、規約には自動更新の旨が書かれている。ユーザーは「同意する」をクリックしている。しかし、人間が現実にどのように振る舞う存在なのか――忘れ、迷い、忙殺される存在であること――を知りながら、その弱さを前提として利益を積み上げる設計は、「自由な合意」とは別種のものになっている。
典型パターンとしての「言われたら返す」商法
ここで、一つのテンプレ構造を描いてみる。
- ① 無料体験の甘い誘い
「今すぐ30日間無料」「いつでも解約可能です」といった文句とともに、大きなボタンが表示される。クレジットカード登録は必要だが、「無料」という言葉とワンクリックの手軽さが、心理的な抵抗を薄める。 - ② こっそり始まる自動更新
30日後、何の通知もないか、もしくは気づきにくい形でのメール一本だけで、有料プランへの自動移行が行われる。ユーザーはそのタイミングで料金が発生したことに、必ずしも気づかない。 - ③ 解約導線の迷路化
いざ解約しようとすると、トップページからは直接辿りつけない。設定画面のさらに奥、別のページへのリンクの下に、小さな文字で「会員資格を終了」が置かれている。クリックしてもすぐには終わらず、「本当に終了しますか?」「この特典が使えなくなります」と何度も念押しされる。 - ④ 気づいたときには数カ月分
ユーザーが明細を見て、「あれ、まだ課金されていたのか」と気づく頃には、数カ月分が引き落とされている。問い合わせをしても、「規約に記載されています」「ご自身で解約いただく必要があります」という返答が返ってくる。 - ⑤ 「言われたら返す」姿勢
中には、強く申し立てれば一部を返金してくれるパターンもある。しかしそれは、「言われたぶんだけ、渋々返す」だけであり、「言わなかった人」「言えなかった人」の分は、そのまま利益として積み上がる。
この構造の本質は、「忘れる人」「気づかない人」を織り込んで利益を設計している点にある。こうしたビジネスを単純に「工夫」と呼ぶことに、どこかしら後ろめたさを覚えるのはなぜか。それは、ここに明確な不可逆性が存在するからである。
「導線設計」という名の不可逆性
可逆性功利主義の観点から見ると、この種のサブスクは、「入口と出口の摩擦」が極端に非対称である。
- 登録は一瞬でできるが、解約には時間と注意力が要求される。
- 「うっかり登録」は歓迎されるが、「うっかり解約」は徹底的に防がれる。
- 自動更新はデフォルトでオンだが、自動的にやめる仕組みは用意されていない。
ここで生じている不可逆性は、「登録という選択が、その後の行動を強く拘束する」という形で現れる。ユーザーは形式的にはいつでも解約できる。しかし、実質的には「忘れないこと」「常に明細をチェックし続けること」「複雑な導線を自力で辿ること」が前提として要求されている。これはもはや、単純な選択の問題ではなく、「継続的な注意と時間を供出し続けること」を強いる構造である。
しかもそのコストは、サブスクを仕掛ける側にはほとんど発生しない。UIを一度設計し、あとは惰性で回っていく。不可逆性の負担は、ほぼ一方的に利用者側に押し付けられている。
「忘れる人」を前提にした功利主義はアリか
ここで問いたいのは、「忘れる人」を前提に利益を設計することは、功利主義として許されるのか、という点である。
古典的な功利主義のスローガンは、「最大多数の最大幸福」である。サブスク推進派は、こう主張するかもしれない。「多くの人は便利なサービスを享受している。多少、解約を忘れる人や使わないのに払い続ける人がいても、全体として見れば得をしている。だから問題ない」と。
一見もっともらしく見えるが、この論法には決定的な欠落がある。それは、「誰の幸福が、どのような形でカウントされているのか」という問いを欠いている点である。
解約を忘れて支払い続ける人の「損失」や、「面倒な手続きにうんざりして再登録を拒む人」の不信感は、どこに記録されているのか。数値化された満足度や売上のグラフだけを見て、「ほら、多くの人が得をしている」と言い張ることは、見えている利益だけを拾い、見えにくい不利益を切り捨てる態度そのものである。
可逆性功利主義は、ここで別の質問を投げかける。「もし自分が『解約を忘れる側』の立場に立たされたとしても、この設計を正当化できるか?」と。
サブスクをデザインする側と、忙しさや病気や生活の混乱の中で明細を見る余裕もない側。その二つの立場を入れ替えてもなお、「これが最大多数の最大幸福です」と言えるのかどうか。そのテストに、このビジネスモデルは耐えられるだろうか。
可逆性功利主義から見た「解約の摩擦コスト」
では、可逆性功利主義の観点から見て、サブスクはどう設計されるべきなのか。
完璧な答えは簡単には出せないが、少なくとも次のような線引きは考えられる。
- ① 入口と出口の摩擦は、おおむね対称であるべきである
登録がワンクリックなら、解約もワンクリックでよいはずである。少なくとも、登録より解約の方が極端に手間を要する設計は、「不可逆性に依存した利益」とみなされるべきである。 - ② 自動更新には、実質的に気づける仕組みが必要である
「規約に書いてあります」という形式的な通知ではなく、更新前に目に入るかたちでのリマインドが必要である。忘れることそのものを利益の源泉にするのではなく、「本当に継続する意思があるか」を確認する方向に設計を振り向けるべきである。 - ③ 解約後の扱いは、できる限り透明で、予測可能であるべきである
「今月分はもう無理です」「ここから先だけ返金します」といった、その場しのぎの運用ではなく、どのタイミングでやめればどこまで負担するのかが、事前に明確であること。これは、ユーザーが自分のリスクを見積もるための最低限の条件である。
これらは、サブスクを完全に否定するものではない。むしろ、「便利な仕組みであるからこそ、その便利さが不可逆性の搾取に変わらないようにするための最低限の条件」である。
可逆性功利主義が求めているのは、「サービスを提供するな」という話ではなく、「やめようと思ったときに、きちんとやめられるようにしておけ」という、ごく素朴な要請にすぎない。
サブスクを仕掛ける側と、解約を忘れる側の非対称性は、現代の生活のあらゆるところに入り込んでいる。便利さと引き換えに、私たちはどれだけの可逆性を手放してしまっているのか。
もし自分がサービスを設計する側の立場に立たされたとき、「忘れる人」から吸い上げる利益にどこまで依存してよいのか、どこから先は「さすがにそれはやりすぎだ」と言うべきなのか――その線を、どこに引くことができるだろうか。
