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新・読書日記658(読書日記1998)

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日記

金曜日の朝、電車の揺れのリズムに合わせて、プラトン『饗宴』のページをちまちまとめくっていた。車内のほとんどの人はスマホの画面をスクロールしているのに、こちらだけは古代ギリシアの酔いどれたちの会話に付き合っている、というこの妙な場違い感。とはいえ、こちらも別にストイックな哲学者ではなく、「一駅進むごとに二、三ページ読めたらまあ上等か」くらいの、ゆるい読書である。ディオティマの有名な「エロース階段」のあたりを読んでいるはずなのに、途中でアナウンスが入ったり、人の乗り降りに気を取られたりして、集中しているのかいないのか、自分でもよくわからない。

それでも、プラトンは容赦なく「愛とは欠如である」などと言ってくる。欠けているからこそ求めるのだ、と。ページを追いながら、「いや、今の自分が欠いているのは愛というより、睡眠と金と気力なんだが」と内心でツッコミを入れる。だがよく考えると、「足りないものを埋めたい」という動きは、たしかに自分の一日をぐるぐる回している。仕事で埋まらない充実感を読書で埋め、読書で埋まらない手応えを「次に読む本探し」で埋めようとしている。エロースの階段どころか、積ん読の階段をひたすら上り下りしているだけではないか、という疑いがふと頭をよぎる。

帰り道はトルストイ『復活 下』へと持ち替える。こちらは一転して、ロシアの土と泥と罪悪感のにおいが濃厚な世界だ。ネフリュードフの悔い改めも、法廷の理不尽さも、農民や囚人たちの姿も、読むたび胸に重くのしかかってくる。だが今日は、物語としての「大きな展開」は特にない章を追いかけていた。話が劇的に動くわけでもなく、淡々と状況が説明され、人物の心の揺れが少しだけ深くなる。電車の車輪の音と同じで、変化しているのに変化していないように見える時間。

「現状維持」といえば聞こえはいいが、裏返せば「特段の変化なし」だ。プラトンもトルストイも、それぞれの世界で壮大な問いを投げてくるのに、こちらの一日は、通勤・仕事・通勤・コンビニ・帰宅、以上、みたいなラインナップで終わっていく。読書の中では人が愛について大演説をぶち、罪の意識に押しつぶされそうになり、革命の予感さえ漂っているのに、自分の現実はというと、「晩ごはん何食べようかな」と「明日何読もうかな」が交互にテレビのチャンネルみたいに切り替わるだけだ。

今日も例にもれず、頭の中はほとんど「明日何読もうか」「次に何の本買おうか」で占拠されていた。しかも、ここが問題なのだが、つい最近ロールズ『正義論』を買ったばかりである。あの分厚い本が、まだほとんど真っ白な顔をして本棚に座っているのに、こちらはもう次の本のことを考えている。「おいおい、まだ正義を読み始めてもいないのに、次の不正な出費を企んでいてどうする」と、さすがに自分で自分にツッコミを入れたくなる。

気づけば、こうなっている。「本を読むための本」ではなく、「本を買うための本」を買っているのではないか。『正義論』という強そうなタイトルの本を一冊購入することで、「最近ちゃんとした本を買ったし、まあよかろう」と、自分の中の謎の会計係がOKを出す。そのOKを免罪符にして、また別の哲学書や小説や評論をネットでポチポチ調べてしまう。まるで、「健康的なサラダを食べたから、スイーツを三つ食べても大丈夫」という雑な理屈で、カロリーの帳尻を合わせようとする人のように。

これはもう、軽い本中毒なのではないか、とさすがに思う。本、本、本、本。頭の中で「本」という単語が四つ並んで、そのまま呪文になっている。気づけば、スマホを開いている時間の半分は、SNSでもニュースでもなく、オンライン書店かレビューサイトをさまよっている。本棚の前に立てば、「ああ、これもまだ途中だ」「これは第一章で止まっている」「これは最初の三十ページで固まっている」と、読了していない本たちがずらっとこちらを見つめ返してくる。それでも、また新しい背表紙を増やしたくなるのだから、なかなか業が深い。

とはいえ、「中毒」といえるほどドラマチックなものでもないのがまた微妙だ。別に徹夜で読みふけって生活が崩壊しているわけでも、貯金をすべて古本屋に捧げているわけでもない。仕事には行くし、最低限の家事もするし、睡眠もそれなりには取る。ただ、心の隙間時間にすっと手が伸びる方向が、本・本・本になっている。それ以外の選択肢――映画でも、スポーツでも、誰かと飲みに行くでも――に向かう前に、「とりあえず本は?」という問いが自動で立ち上がってしまう。

「読書以外に何をしよう」。今日は、この言葉がやたらと頭の中で反響した。もちろん、読書は嫌いではない。むしろ相当好きな部類に入る。しかし、「好きなこと」に逃げ込んでいるのか、「好きなこと」に支えられているのか、その境目がときどき曖昧になる。『饗宴』に出てくる人たちは、飲み会の席で愛を語りながら、結果的に自分の生き方そのものを問われていく。『復活』のネフリュードフは、自分の過去に真正面から向き合わされ、目を背けていた責任を突きつけられる。それに比べると、自分は「次にどの本を買うか」という、安全で心地よい選択の中をくるくる回っているだけなのかもしれない。

金曜日の夜は、いつも気づけば終わっている。あっという間に過ぎ去ってしまう。仕事から解放されて、一番自由なはずの時間なのに、その自由さに耐えきれず、とりあえず本に逃げ込んでいるところもあるのだろう。ページを開けば、「金曜日の夜」という現実の時間は、一時的に保留にできる。自分の部屋も、明日の予定も、自分の年齢も、ちょっとだけ背景に退いてくれる。代わりに前景に現れるのは、古代ギリシアの酒宴だったり、帝政ロシアの裁判所だったり、現代リベラリズムの正義論だったりする。そうした「別の世界」に出入りしているうちに、現実の時間は静かに消えていく。

今日一日を振り返ると、なんともコメントしづらい、微妙な日だった。「仕事が大成功しました!」でもなければ、「人生を変えるような一文に出会いました!」でもない。ただ、電車で少しずつページが進み、本屋サイトのウィンドウショッピングをし、帰宅後にまた少し読み、気づいたら金曜日が終わっていた。現状維持と言えばその通りだが、その現状維持を支えているのは、あの本棚と、積まれた本たちと、まだ一行も読まれていない『正義論』の分厚い背表紙だったりする。

本を読むことと、本を買うことと、本を探すこと。その三つが、今日の自分の一日をほとんどまるごと占めていたと言ってもいいかもしれない。それはたしかに「本中毒」の一歩手前かもしれないし、同時に、ささやかに世界とつながるための、自分なりの細い糸でもある。プラトンもトルストイもロールズも、いまはまだ本棚の中で黙っているけれど、いつかそれぞれの声が、自分の生活の何かを少しだけ動かすかもしれない。その「いつか」を信じて、今日もまた本の背表紙を眺めているのだろう。

そんな微妙で、本だらけの金曜日の夜を過ごしたあとで、自分は明日、ほんとうは本以外の何をしてみたいと思っているのだろうか。

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こうして書き残すことは、私にとって読書ブログを続ける意味そのものです。

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