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読書日記267

松岡正剛『日本的文芸術』角川ソフィア文庫 (2022)

■株式会社KADOKAWA

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日記

選挙ウォッチャーちだい『「NHKから国民を守る党」とは何だったのか?』のつづきと、

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/27/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98266/

  

大江健三郎『作家自身を語る』

を読む。

  

僕は「ただ文章を読みたい」時があれば、「なにかを学びたい」時もあれば、「本に救いを求める」時もある。

今日はなんとなく文章を読みたい日だった。

この気分の波は自分でも捉えどころがない。

  

感じたことをただ文章に書いてみて自分を確かめる。そんな作業は、個人的には好きである。

松岡正剛氏の千夜千冊は、本を読む本のような位置付けであるが、僕にとっては非常に参考になるもので、知らない本の世界の案内人のような人物である。

この方は「編集工学」をビジネスにしているので、物事の結びつきを語ることに関してはおそらく日本一プロフェッショナルである。

今日は富永太郎という人物の項目についていろいろと読みふけった。

  

僕は個人の性格からして、尾崎豊のような虚無感の作品に惹かれる。

この富永太郎という人物もおそらくその部類に入る人物であって、尾崎氏と同じく、若くして自らの意思で世を去った。

できれば平和に穏和に暮らしたいものだが、文学界では特に、人は苦しい境遇におかれた時にこそ人間性が滲み出て、生命の躍動を感じさせることができるという、ある種のジレンマがあると感じさせられる。

つづく

公開日2022-04-08

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